モンテッソーリ教育について
モンテッソーリ教育といえば、日本では「幼児教育」で有名です。モンテッソーリ教育を
とりいれた幼稚園もたくさんあり、モンテッソーリの幼児教育に対する情報は本や、
インターネット上で数多く公開されています。
しかし、実際には、モンテッソーリ教育においては、人間として完成するのは24歳頃とされ、それまでの発達段階を4段階に区切っています。この発達段階にごとに、子どもの成長に役立つ原理は違います。モンテッソーリ教育とは決して「幼児教育」だけではないのです。
創始者 マリア モンテッソーリ Maria Montessori (1870-1952)
イタリア生まれ。
イタリアで初めて医学部を出て医者になった女性であり、医学博士、外科博士の学位を持つ。
ローマ大学卒業後、国立異常児学校長、ローマ大学教育学部講師を経て、ローマの貧民街に「こどものいえCasa dei Bambini」を創設。
子どもの自発性を重んじたモンテッソーリ教育法を実施し、精神発達の独特の訓練教材や遊戯の方法「モンテッソーリ教具」を考案しました。
子どもの家の創設
マリア・モンテッソーリはローマのスラム街サン・ロレンソに設けられた労働者アパートに施設を設け、子ども達の教育を任命されました。そこで初めて障害のある子ども以外の子に彼女の教育理論を実践するチャンスがきたのです。
これは6歳以下の子どもむけの施設で、所長のモンテッソーリにより「子どもの家」と名づけられ、徹底的な研究のもとで、目を見張るような実践上の成果をあげました。
現在も、就学前の子どものためのモンテッソーリ法の施設は「子どもの家」と呼ばれています。
モンテッソーリ教育法の誕生
マリア・モンテッソーリは、ローマ大学卒業後25歳の時にローマ大学附属病院で、
精神遅滞児や精神障害児のために働きました。そして、そこで子ども達がパンくずを
いじって遊んでいる光景を目にしました。施設の職員はその子どもたちが不潔で
汚らしいと蔑みましたが、その様子を観察したマリアは、そうは思いませんでした。
マリアは後にこう述べています。
「こどもたちは皆、与えられたパンで床の上で遊んでいる。そしてパンで何か形を作り
それが汚く散らかっている。この時、部屋にはベッドしかなく、障害児には遊びに役立
つ全ての手段が取り除かれていたのです。それでも、こどもたちは食べることよりも、
もっと次元の高いものを求めているのだということを知ったのです。
それは、いたいけなこどもたちが手を使うことで獲得できる知性への道だということを
本能的に感じ、身近にあるものから知性への糸口をもとめた末に、仕方なく打開策と
してパンをこね回しているのだろう。」
モンテッソーリ教育法
「私は子どもから学んだのであって、子供が私に与えてくれたものを 受け入れ、それを 表現したまでなのです。そして、それがいわゆるモンテッソーリ法なのです。」
というマリア・モンテッソーリの言葉からもわかるように、モンテッソーリ教育法は、徹底的な研究のもと「子どもを知ること」を基盤にした、科学的な教育法です。
その内容は多岐にわたり、誕生前の子どもから、24歳の青年期にいたるまで広範囲に渡ります。
教育は生命への援助である
植物や動物と同様、人間は成長と発達の法則にしたがって、自分自身を作ります。例え自分のお腹の中で子どもを育んだからといって、「ここに目をつけたのは私よ。こんな風に鼻を作ったのよ。」と言える母親はいないでしょう。子どもは自然の発達の法則に従って、自らを成長・発達させる力を持って生まれてくるのです。
ですから、子どもは自然の発達法則の中で、発達する自由が与えられるべきです。親や教はそれぞれの子どもの「発達段階」に合う条件や設備を用意し、子どもの成長を援助し促すことです。過剰な援助は、発達の障害となります。発達の妨げになるような手助けではなく、発達をする援助が必要です。マリア・モンテッソーリのエピソードをご紹介しましょう。
「鼻をかむ時はね」そう言って、あとは動作で示したのです。モンテッソーリが「鼻をかむ」時の一連の動きを、よく分析し順序だててして見せると、思いがけないことに子どもたちが一斉に拍手してくれました。モンテッソーリは、なぜ子どもたちが拍手してくれたか戸惑いましたが、すぐにその訳がわかりました。
子どもたちはいつでも「鼻をたらしている」と注意されるか、大人に無理にかんでもらうかのどちらかでした。それは子どもにとって屈辱だったのです。モンテッソーリは「僕でも、私でもかめる」ように分かりやすく、ゆっくりはっきりと鼻のかみ方を教えたのです。だから子どもたちは嬉しくなって拍手したのでした。