気の使い方とお金の使い方には、共通する傾向があるのではないか?
と、独断と偏見を展開させていただきます。
お金にケチで、人におごってあげるなんて、考えもつかない人
こういう人が、人のために気を使い
自分のエネルギーを出し惜しみなく
人に尽くすとは想像しがたい。
自分から人のために気を使うことがなく
人から情報や物やコネクションや、やってもらえることだけを
多く摂取しようとする取ることしか考えない人・・・
そういう人は、例えば缶ジュースをおごってもらったら
(なんでクッキーも一緒に買ってくれなかったのか)と不満を持つ。
自分が身銭を切って、人におごることをしないのだから
そうしてくれる人の気持ちは理解できないので
何を与えてもらっても、いつでも満たされることがない。
そういう人が変われる唯一の方法はなんだろう?
身銭を切って、身を削って、自分自身がエネルギーやお金を
出す経験をするしかないのではないだろうか。
だけど、どうしたら得するかという教えはたくさんあっても
どうしたら与えられるかという教えは、今の社会ではなかなか学び難い。
与えること、他のためにエネルギーを使うことで、心は豊かになるけれど
与えてもらっても、与えてもらっても、持っても持っても
摂取することしか考えていない人は、心がどんどん貧乏になるなあ。
そして、今このままの自分、今のそのままの家族、与えられている物や環境
そのままの姿に感謝できなければ
もっともっと上へ上へと思う気持ちに急かされるだけかも。
でも、追いかけても追いかけても、自分で創り上げて捕らわれている
イリュージョンであるゴールには、一生たどり着けないだよ。
なんかね・・日本を外から見ていると
そういう人が近年、劇的に増えているような気がしてならない
辛口のおばさんでした。
そういう人が親になった時、子どもに豊かな心を持つ教育を
どうしたら教えてあげられよう。
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