ロック・クライマーが語る9つの人生の学びについて、日記を書いた後に思ったのは、彼は自分の体を張って、体験することで学んだことを言葉にしています が、言葉だけで学んだ私の場合、たとえ昨日、彼から学んだことを書き写したとしても、今日には忘れてしまっているという・・・ 世の中には、そーんないい 話がたっくさんあるに違いないと思うのは、私だけでしょうか。
格言集のようなものを常に持ち歩いていない限り、一回聞いただけの言葉だと、その場では(ああ、すっごくいい話!)と思って、一時的な満足感が味わえるかもしれないけど、自分で身につけたものではないので、すぐに忘れちまう。(私の場合)
もし記憶力の優れた人がいたとしたら、脳にインプットしてある、ためになるお話をたっくさん持つことができますが、ただ大事なことは、それを実生 活で応用して取り入れることができるか?という部分じゃないかしら。それだけじゃなくて、アプライできた後、そこから更に自分のオリジナルが作れるか?と いうクリエイティビティーが・・・ あ、話がずれるのでこの話は置いておいて。
マシュー・チャイルズさんはきっと、実際に崖から落ちたことがあるに違いない。ただ死ぬほどの高さではなかっただけだと思います。崖から落ちたことがあるから、痛みを知っている人だから、自分で這い上がってきた人だから、腹から言える言葉なんだよなあ。
わざわざ崖から落っこちないにしても、人は苦労して、もがいてきて、社会の影や自分の中の陰の部分を見つめて、はじめて他人に同じ部分が見えた時に、逆に他人の中の自分を許せるようになるのかもしれません。
または、崖から落ちた経験があるからこそ、次に続く人たちのために、自分が学んだことを継承したいという、慈悲の心が生まれるようにも思います。もしかしたら、崖から落ちる経験には、他にもベネフィットがあるかもしれません。
だからか私の母は、「子どもは崖から突き落とすように教育するわ」と、私が子どもの頃に言っていました。それだけじゃなくて、「崖から落ちて死ん だら、その子の運命だと思って諦めるわ」とも言っていました、うちの母は。子どもの頃は、(ひどいこと言うもんだ、もっと優しいお母さんが欲しい、、)と 思ったものですが、今はお母さんアッパレと言いたい気持ちです。
でも、まあ、中には自分が崖から落ちたら、他人の足を引っ張って、自分が落ちたように落っことそうとする人もいるかもしれませんし、もしくは落ち たまま這い上がろうとしない人もいると思います。これは、そういう人が悪いといっているんじゃなくて、そういう人もいるし、そうじゃない人もいるというこ とで、どちらの道に進むか、Willの持つか持たないかは、人それぞれの”選択”。そして右に行くにも左に行くにも、誰のせいでもなくて、自分で選択して いるのです。
光と影は背中合わせのように思います。本当の強さは、影を見ないようにすることではありません。光と影の両方を見て、そして自分の陰と戦い、マイナスをプラスに自力で変えることができる、生きる力ではないでしょうか。 と今日はオチがありました。
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