かねちゃんと一緒に馬たちと過ごしていた時、仔牛くんたちが柵の中でギューギュー詰めになっているのを見て、2人でこんな会話が始まりました。
「ああいうの見るのはたまらんよ。でもそんなこと言ってる自分だって馬に乗っているしねぇ」と私が言うと。
かねちゃんが言いました。
「友達と議論になったことがあるんだけどね、トレイルライドでさ、もうでくの坊にさせられて、何も感じないように調教されている馬でもね、私が 行って乗るその時だけでも、楽しいとか自由な気持ちが味わえる方が、一生その気持ちを知らずに死んじゃうよりもいいって思うのね。でも、友達はそれは逆に かわいそうだって言うんだよ」
かねちゃんの言うことよく分かる。それが優しい気持ちだって、ホントよく分かる。
馬じゃなくて、このことを人間に当てはめて考えみたのだけど、私には正直言って答えは分からない。
感じないように調教されて、毎日の仕事をこなすことが、彼らの生きるすべとなっている馬たちがたくさんいる。人間も同じではないか?
もし馬たちが、自由とはこういうものだと一瞬知ることができたとして、でも、また明日からは、自由じゃない環境の中に戻り、そこで一生いきていかなければいけないとしたら、逆に、そうじゃない世界を垣間見ない方が、見ない方が、知らない方がいいかもしれないとしたら・・
人間で言えば、私は社会的にこういう人間である、そして家族の中ではこういう位置にいて、この箱の中で生きているという環境があって、でも、それ らを一切取り払って、そうじゃない生き方もある、ということを知った時・・・だけど目の前にある現実は、やはり箱に戻らなくてはいけないという環境だとし たら
脱皮しない方がいい時もあるかもしれない。
というか、脱がずにその中で生きるというのも一つの選択で、それはそれでサバイバルするために、そこにとどまるというのもありなんだよなあ、きっと。
私自身は箱に収まっていたくないタイプで、箱に入るのはイヤでイヤでたまらなくて、そしてそんなもんなくたって生きていけると自分を信じている。もともと箱がないところから人生始まっているので、箱がある人生とは逆な視点しか持っていないから。
でも、もしかしたら箱がないと不安な人もいるかもしれない。
と言いながら、箱を取り払った方が世界が広がって楽しいよ~~って思ってはいるんだけど。まあ、それは、箱から外に出るのは、その人の今生の運命ではないかもしれないし、今がそのタイミングじゃないかもしれないし・・と謙虚に、一歩さがってみたりする。
しかし、だとしたら、箱の中にいながら楽しめる方法を見つけるのか!?
箱の外に出るのは怖いけど、でも、その中で十分には楽しむことだってできるんだよね。
そうやって、その中で一生懸命生きている人もたくさんいるんだろうなあ。
しかし!
私とかねちゃんなら、自分の人生を人に左右されずに、解放され、自由に、大胆に、楽しく、おおらかに生きることだったら、人に伝えられるかもしれない。
そうやって生きてみたいと、心の片隅にちょっとでも希望のある人はテキサスに来たらいい、なーんて思っていたら、今日、お友達から「悩んでいて、元気でない人たちがいるから、その人たち連れて、馬に乗りに遊びに行っていい?」と電話がかかってきた。
(よっしゃー!まかしとき)だよ。
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