箱について考えてみた。
また考えてみた。
しつこいねえ。(笑)
感じていることがたくさんあって。
それは右脳で感じているイメージのような抽象的な世界です。
で、
こうやって書くことで、右脳で感じていることを
左脳を使って書いて出す、、、という感じなのですが
自分の中にある抽象的な思考を書いて形にする・・・
この、文章を書くという、自分の表現方法であるアウトレット、もしくはメディアは
結構インスタントにできることなので、例えば陶器を作るように
(作るぞ)と思って手でこねてから、(できた)と思うまでの時間が早い。
けど、大きな構想を持って、街を作っていくとか、社会を変えていくというような
そういうアウトレットは、形ができるまでホントに時間がかかるし
一人だけではできない作業だし、もっともっと複雑な問題も出てくる。
私には、なんかこう、自分の構想を表現するメディアが、陶器のようなものではなく
”新しい社会を作る”とか、”人間関係を構築する”とか、”人と共に成長する”とか
(それは芸術ではないだろう!)と思えるようなことで、美を追求したいと考えている
・・・ああ、こうやって、考えてから書くのではなくて、書きながら考えていると
無意識に考えていることが形になって出てくるから面白い。
もしかしたら、自分を取り巻く環境を変えたいと思っている人の中には
(なんて小さな箱の中に入っているんだ・・しかも、それさえ脱皮できない)と
他人が大きな箱を持っていることが、羨ましく思えたりするかもしれないけど
でも、所詮、ロシアのマトリョーシカ人形のように、小さな自分が
今、囚われていることを脱いで、(よっしこれで私は一人前)と思えたとしても
脱いだ自分は、まだまだ別の箱の中に永遠と入っている、という状態と同じで
どんなに自分が大きくなったつもりになっても、所詮はお釈迦様の手の平の世界からは
抜け出ることはできないのだと思います。
なので、大きく見える人でもそうじゃない人でも、同じ穴(箱)のムジナなんだと思う。
その穴とは、”人間として生きている”ということじゃないかと思うのでした。
ほんでもって私は・・
例えば、体を持ちながら、体という箱のない状態になる・・というように
時々、人間という枠を取り払えるような、しかも死んでからではなくて
生きているうちにそれができる!なんていう、修行をしたいと思ったりはしますが
いつか年取った時に、自然にそちらの方に導かれたらいいな、と思ってはいても
今は、ここに生きて、分相応に、自分に与えられたことをやる
ということにフォーカスして、一つずつ脱皮していきたいと思っています。
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