子どもと接する時に、その子の短所を突いてその部分を改善させようとするよりも、長所を伸ばしてあげることにフォーカスすれば、自然と短所も薄れていくのではないかと思っています。実はこのことに気づいたのは、私自身が短所だらけの人間だったからです。私は昔から、おしなべてそこそこに、いい子になって人に合わせることができない性質で、いつも集団の中でちょっとどころか、完全に大きく浮いていました。動物園の動物を見に来るように、教室の窓の外から、数人で(あの子、あの子)と指を差しながら、私のことを見にくることもあったくらいです。別に人前で鼻ほじってたワケではなかったのですが。
中学校の時に、クラスで女の子のグループが2つに別れて陰険なケンカをしていました。私は彼女たちの事情などお構いなしだったので、一体なんでそんなことになっているのか、全然見えていませんでした。しかしある日、放課後にその二つのグループのリーダーの女の子たちから呼ばれ、真ん中に入ってどっちのグループの言っていることが正しいか聞いてくれ、と頼まれました。ちなみに、その中学校は商社の家庭の子どもとか多く、優等生がたくさんいる学校でした。私のように年中忘れ物をしたり、体育館掃除の時に跳び箱の中に隠れていたり、制服の下にパジャマを隠し着ているような女の子は、一人もいませんでした。
私は両方の話を聞きましたが、なんでそんなことで怒っているのか、まあ、さっぱり分からんので、形相を変えて私に詰め寄る彼女たちに、てきとーな返事をしました。「う~ん、こっちの言うことも分かるし、あっちの言うことも分かる。でもって、こっちも悪いし、あっちも悪い」というようなことです。するとなぜか彼女たちの怒りの矛先が私に向かい、「いいかげんなこと言わないで。どっちなのよー!」と両方から怒られました。
なので私はその後、運動もできて勉強もできる目立つ男の子たちや、その逆に特殊学級の男の子たちと遊んでいました。そうすると益々女の子との距離が開きました。だいたいが小さい頃から、いつも一緒に遊んでいたのは男の子たちで、缶けりとベーゴマとめんこが命でした。なので元々が女の子とつるむよりは、男の子と遊んでいる方が楽だったのです。私はよく特殊学級の教室の前で、彼らを待っていました。他の女の子たちから、かなり変な目で見られていました。実際、そういうことをしない方がいいよと、親切に忠告してくれる女の子もいました。でも、一体何がいけなかったのだろうか?今でもぜんぜん分かっていません。活発な男の子たちと遊ぶのは、影でネチネチやっている女の子と遊ぶよりもよっぽど楽しかったし、特殊学級のアソウ君はギターが上手で、私は彼からエレキギターでサンタナの曲を弾けるよう教えてもらったのです。
しかし、なぜかこのような昔のことが、最近立ち上げたBBSと重なって思い出される、今日この頃・・・なーんだかBBSがどうも上手くまとまらない感じがしています。
その要因を考えてみましたが、まず、私が失敗したと思う点は、コンセプトを打ち立てずに、どばっと出してしまったこと。つまり、別な視点から考える人たちの、それぞれの意見が活かされるような土壌を作ってから、みなさんに意見を出してもらうという、十分な見通しと計画と段取りをしていなかったということです。馬のことで言えば、自分がどっちに進むか指示せずに手綱だけ緩められても、馬はどっちに進んでいいのか戸惑ってしまいます。それじゃリーダーとして失格だに。あ、またここで、人を馬と一緒にするつもり!?と怒られそうです。
私にしても、このBBSが一体どういう流れになるかは分かっていませんでした。なので取り合えずはBBSが、自然にどう動いていくのか、まずは試してみようと思っていたのです。そうしましたところ、ネガティブなやり取りや、ネガティブな感情も大分でてきたようですが、私はそのことを決してマイナスだとは思っていませんでした。なぜなら、意見が違うということを知ることは、お互いに学べることがあると思うし、ネガティブな感情を出したい時もあるよなあ、それはそれで自分を見つめる機会ができていいじゃないの、と思っていたのです。
私の場合は違う意見には、「自分はこう思うよ」とは言いたくなっちゃうのですが、基本的には(ヘエ、違うんだな。ピリオド)なんです。違う意見がなければ変だし、反対意見を持っている人そのものが悪いワケでもありません。夫婦でさえ、様々なことで違う見方をするのですから、バックグランドの違う人たちの意見が違ってて当然です。だからといって人を嫌いになるワケでもないし、違う意見を持っている人でも、いつも人のことが好きです。オメデタイ。でも、人からは嫌われているかもしれません。
ところが、違う意見を攻撃に感じてしまう人もいたり、中にはそういうやり取りを見ることさえ、耐え難いと思う人もいると思います。というか、もしかしたらそういう人の方が多いかもしれないと、最近思うようになりました。そういうところに昔から無頓着であった上に、更に人生の中で日本よりも、アメリカでの生活の方が長いので、怒鳴りあいながら議論しても、言い争いが終わったらニコニコしてハグし合うという、日本人から見たら(コイツらが毛深いのは肌だけじゃなく、心臓にまで毛がはえているのか?)と思えるような、彼らの図太い能天気さを、知らない間に身につけちゃったのかもしれませんねえ。一言で言えば、鈍感?
人のことを見る時、その人が子どもの頃から持って生まれた、ソウルを見ようとはしますが、たぶんその部分では敏感だと思うのですが、社会の中でどうだとか、人間関係の中でどうだとか、どういう行動をとりやすい人だとか、そういうこと、ぜーんぜん分からないのです。自分自身の行動でもそういうことを気にしないので、世間のことがよく分かりません。鳩山さんのお顔を拝見するに、私はちょっと自分と同じ匂いを感じてしまいまふ。(笑)
BBSでは他にも気づいたことがあります。それは人の短所にフォーカスするのではなく、長所にフォーカスすれば、自然と短所も消えていくと思うのは、もしかしたら個人だけでなく、マスに訴える時にも同じなのではないかということです。
さて、今のBBSを修復するのは、私にはちょっと大儀です。というのはなんかワクワクしないのです。自分が活かされるのは、多分、前を見て広い世界を人に見せてあげられるような、そしてみんなもワクワク楽しくなるような、そういう部分なのかもしれません。きっと各自の問題に、眉間にシワを寄せて聞き入ってあげられる人間ではないのだと思います。なので間違っている部分を指摘して、そこにメスを入れて修復していく作業に関しては、私は能無しです。きっとそれを使命としている方は他にいらっしゃることでしょう。
とは言え、ずっと同じビジョンは持っているので、というか未来がそうなるとしか思えない、ハッキリとしたイメージが自分の中で消えてなくならないので、またいずれ、手を変え品を変え、違う形で何かすると思います。でも取り合えずはこのBBSはお終いにしよ。
自分にもできることがあれば、何かで役に立ちたいと思われた方は、そう表明されるだけでも、己の得になることばかり考えずに、何だかワケの分からんことにエネルギーを使える人なのだと、自分自身のことを褒めてください。自分の力を人に使うというのは、とっても気持ちのいい充実感に満たされることと思います。是非これからも、ちょっとだけでもいいから自分自身をプッシュして、何か行動されてください。それは自身の心の成長にも繫がることだと思います。
BBSを閉めてしまうことに対し、なんで~!?と思われるかもしれませんが、上手くいかないと思うことに、縛られて時間を無駄にするよりも、ダメだと思ったら、柔軟にやめちゃってもいいって思うんすよ、私は。だからといって、元の気持ちが変わるワケではないので、また違う形で現れるかもしれませんし、その時までアジャパ~。
あ、ブログは自分の思っていることを出す場として、このまま続けまーす。じゃないと糞詰まりになっちゃいます。なんだか最近、書きたいことがたっくさんあるんです。BBSは音のないオナラのように(プシュ~)になってしまいましたが、リアルで起こることが面白ろくて、人生は楽し過ぎ。

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