息子との昨日の会話の中で
「思考が外に広がっていくと、自分のリアリティーの限界も広がっていくでしょ」と
彼が言った言葉について私は質問しました。
「なんで思考が広がると、自分がおかれている現実も広がるって思うの?」
それに対し彼は
「色々なことを考えて知るようになれば、人生のチョイス(選択肢)が増えるじゃない」
と言いました。
私は最近、この“選択”についてちょっと物思いにふけっておりました。
壮大な話ではなく、ドメスティックなところでお話をさせていただきます。
まずは写真をご覧ください。

例えば食べ物には選択肢がたくさんあります。
牛乳のことなどは、お母さんたちはよく調べて知っていて
最近では牛乳ではなく豆乳を子どもに飲ませている人たちが多いようですね。
昔、私が子どもの頃は、栄養を摂るために牛乳は健康な食品だと
そのように刷り込みされて育ちました。
そして私が子どもの頃、牛乳には選択がほとんどありませんでした。
なのでもしその頃、牛乳を飲んでお腹が痛くなるとか
なんらかの症状が出た場合、あのスーパーで売っていたXX牛乳が悪い!と
私たちは責任を押し付け、怒りをぶつけることができました。
しかし今は?
牛乳を飲んでお腹の調子が悪くなったら、脂肪分の少ない牛乳に切り替えたり
または豆乳を飲むことにしたり、と選択肢は広がっています。
その結果、(牛乳飲んでお腹が痛くなるのはXX牛乳ではなく、それを買う自分がいけない)と
私たち一人一人が、責任を持って選択することが必要になりました。

もしスーパーに1種類しかワインが売ってなかったら
「お前の買ってくるワインはすっぱくてまずいぞ」
とご主人に文句を言われても
「だってそれしか売ってないんだからしょうがないじゃない」
とあなたは反撃できます。
が、今はスーパーには数え切れないほどの種類のワインがありますので
ワイン選びに失敗するのは、考えて買わなかった自分がいけない・・となります。
XX牛乳しか売ってなかったり、一種類のワインしか売ってなかたりと
たとえ選択肢がたくさんなくても、それらを信頼できれば何の問題もありません。
他の選択肢を知らない場合、比べようがありませんから
盲目的に与えられるものを信じて、満足しているということもあるでしょう。
食べ物に関しては、きっとみなさんうんちくがあるでしょうし
子どもたちのために、家族のために、お母さんはとてもよく考慮して
毎日の食卓を用意されていることと思います。
が、これを別なことに当てはめて考えてみますね。
あくまでも例えばの話ですが・・・
新型インフルエンザのワクチンについて。
政府やマスコミで流されている情報に、絶対に間違いはないと
完全に安心していられる人たちもいるかもしれません。
しかし、XX牛乳飲んでお腹が痛くなったから、あのスーパーが悪い!
というように、現代の社会では何かが起こってから
一方的にマスコミを責めることはできません。
なぜなら、私たちは他にも情報を得るリソースを持っているからです。
なので様々な情報を得て、それらをより分け、きちんと判断するのは
私たち一人一人の責任となってきます。
さて、政府やマスコミからの情報をクリティカル・シンキングするという選択も
逆に、何も考えないで全て鵜呑みにするという選択もあります。
他に選択肢がないワケじゃないので、鵜呑みにする場合
それはそれで(あなたの選択なんですよね?)
だとしたら(敢えてそう選択しているのですね)と
私はあなたの選択をリスペクトしなくてはいけません。
他にチョイスがなければ、知らなかったで済むかもしれませんが
情報がたくさんある中、敢えて色々と調べないことを選択しているとしたら・・・
そして、目から耳から自動的に入ってくる、テレビやニュースなどの情報を
何も考えずに何も調べなかったら・・・
自動的に新型インフルエンザ→恐怖→予防接種と
自分の子どもの血管にダイレクトに入っていく液体に
一体何が含まれているのか何も知らずに
予防接種させてしまうことになります。
それもあなたの選択なのでしょうか?
だとしたら、とっても不思議です。
牛乳には神経質になっても、血管に入っていく液体の心配はしないなんて。
政府が言うのだから間違いないと言えるほど
あなたの子どもに危険かもしれないことと、政府への信頼を計りにかけ
それでも政府を信頼していると、そこまで盲目的に信じることができるのでしょうか?
これはもう、マスコミの問題ではなく、一人一人の個人が自分自身で考えて
家族や子どもの運命を決めていくという、親の選択だと私は考えています。
私は何を選択しなさいとは言いません。
でも、声を大にして言いたいことはあります。
Wake up everyone!
自分の運命を切り開くとか、自分の運命を自分で作っていくとか
とても壮大な話に聞こえるかもしれませんが
運命を左右するのは、毎日の小さなことと思われる選択の積み重ねです。
選択の自由があるということは、選択の責任も自分にあると
まずはフンドシを締めなおすところから始めないと
自分の運命は自分の手の中にあると考えるのは難しいかもしれません。
でも大丈夫。
子どもたちを愛しているという気持ちさえ動機にあれば
たとえ、今までもし、ぼおっとしてたとしても(笑)
フンドシを締めさえすれば、急激に変われるはずです。
Good luck!
P.S.
予防接種に関する不安や、私はこう考えている!
はたまた、何かみなさんに有益な情報を発見された方は
是非、コメント欄に書き込んでくださいね。
情報入手は一人一人の責任であっても
多くの人が情報をシェアすることによって
一人Xたくさんの有益な情報にもなり得ます。
また一人で悩むのも辛いので、気にかかっている人は
自分の気持ちを書いてくださいね。
クリティカルシンキング!非常に重要です。
僕は、かなり昔、数年位ですけどアメリカとドイツに住んで、外側から日本を見て、と言うより眺めていた(俯瞰図的に?)時期があります。
すると日本と言う国のおかしなところが必然的に見えて来ます。よね?
で、今は日本に帰ってきて住んでいますけど、この国の国民性ってすんごい不思議です。
不思議に感じる問題点。
一つは、年金問題です。
これって、
国が国民から莫大なお金を巻き上げ、勝手に使って今は何処に行ったか判らないけど勘弁してよ!
(本音はね。上辺は必死に何処に行っちゃたか探すふりしてるけど。それもまたそのための費用として莫大なお金をかけてる訳です。探すふりするためにですよ!)
って言ってる訳ですよね。
これって普通怒りませんか?
こう言う事が、例えば軍事国家で起こったらクーデターもんです。
犯人(誰?)は捕まえられて、打ち首獄門さらし首、市中引き回しの刑にあいます。
(ほんとですよ)
でも日本では?
エヘヘって笑って終わっちゃうんでしょうね。
いつか時が解決してくれるから。
僕は実を言うと、年金の掛け金を払っていません。
昭和23年生まれですから、実際は前倒しでそろそろ頂ける時期です。
しかし、昭和56年、バイクを運転中居眠り運転のトラックに撥ねられ1年半入院生活。
長い裁判の結果、勝訴しましたが、3級の身障者(左大腿骨全廃)となり(あっ、家内もバイクの後ろに乗っていて大怪我しましたから二人とも入院、当然二人とも払っていませんでした)市役所に出向き訳を話して、
「滞っていた国民年金の掛け金を一括で支払います。でも身体障害者として、この後身障者年金を頂ける様認めて下さい」
とお願いしました。
すると、
「いやそれは認められません。しかし、年金の掛け金は払って下さい」
との事。
「はあ、なら今後支払いはしませんしこれまで支払った掛け金を全部返して下さい」
「それは無理です。国民年金の掛け金はお返しできない事になってるんです」
「バカヤロー、ふざけんな。俺が払った金返せよ!」
ずびばせん。思い出したらちょっと感情的になりました。
とこんな具合です。
20数年前の話です。
本題に戻りますけど、クリティカルシンキング、凄く大事です。
これっておかしくないか?
なんでこうなってんの?
本当にいろんな事が、おかしな事だらけの日本です。
投稿情報: Yoshio Muroi | 2009/10/18 05:18
マミ〜のブログ、いつも楽しみに読ませて
いただいてます〜。
でも、自分がいかに日々頭を使わないで暮らして
いるのか、思い知らされてしまいますが.....。
私もインフルエンザ接種には疑問を感じていて、
自身受けていませんし、子供、夫にも受けさせていません。
以前は、子供のちょっとした発熱でもお医者さんに駆け込んで
いました。なかなか熱が下がらず、他の医者さんに行くと、
『毎回医者のところで新しい風邪菌をもらって来ているのかも』
と言われた事もあります。
結局、薬品会社が儲かっているだけ?の様な気がして。
ワクチン接種のせいで新型ウイルスが出て来てる?
とまで根拠も無く考えてしまいます。
皆さんの意見、ぜひ聞きたいです。
投稿情報: | 2009/10/18 08:23