何年も前から多くのオピニオンリーダーに言われていることですが:
【これまでの社会】 【これからの社会】
「機能」 「美」
「情報」 「物語」
「個」 「調和」
「理屈」 「共感」
「規格」 「遊び心」
「物」 「精神」
これまでの社会で確立されてきた、機能を重視して情報を握る個人が力を持ち、理屈で人を従わせ、規格という箱に人を閉じ込め、物を与えていればいいという世界は、終わりつつあると私は考えています。
これからの社会で必要とされる人材は、機能よりも美を追求できるクリエイティビティーを持ち、情報よりも物語を生み出せる幅広い人間性がある人。個の力を重んじ競争するのではなく、人と調和して繋がることができる人。更には理屈で勝つことよりも、共感することでWinWinの関係を作ることができ、規格に当てはめて人をジャッジするのではなく、みんな違ってみんないいと遊び心を持てる余裕があり、そして物にすがるのではなく、物では計ることのできない精神性を理解し、表現していかれる人材であると考えます。
このように、利己的な存在ではなく利他的な存在こそ、これから世の中に増えていって欲しい人たちであり、これから求められる存在であると感じています。
人類というシンフォニーにて楽器を奏でられる人間になるために、全体と調和し楽しく自分を生かせる人になりたい。そのためには、自分と他人を隔てている競争という枠組みから飛び出し、自分以外の人々に共感し共鳴できる能力、そして自分の思考を美的に心から表現できる能力を養いたいものです。
自分自身もそのように変わりたいと思うと同時に、私たち母親の役目として、子どもにはこれまでの社会で機能する人間像ではなく、新しい社会で機能できる人間像を描いて教育したいと私は考えています。
私たちが子どもだった頃と比べ、今の子どもたちが生きている社会は、物や情報が溢れている世界です。カラーテレビはもちろん、車、エアコン、携帯電話、デジカメ、ビデオカメラなどなど、昔なら一般的に持ち得なかった物を今では普通に持ってて当然な時代です。
私は今日、新しくデジカメを買い換えましたが、ブランドもたくさんあり、種類もたくさんあり、デザインも機能も、全て把握するにはデジカメ大学にでも行かないと、ちゃんと把握した上で選択することは不可能と思えるくらい、色々なデジカメが売り場に溢れていました。シャンプーを買いにスーパーに行けば、あまりにもたくさんの種類があり過ぎて、いつもと違うシャンプーを買おうと思ったら、少なくてもシャンプー売り場で15分はウロウロし、どれがいいか見比べることになります。まあこれは、物が溢れているだけではなく、一つのことを決定するのに執拗に勉強してしまう、私の偏執性格のせいもあると思います。そのため買い物に行くとめちゃ疲れるので、ショッピングは好きではありません。
私が子どもの頃の約40年前と比べると、「物」という観点から見て、社会は劇的に変わったというのに、社会の変化に呼応して私たち親の教育方針は、あまり昔と変わっていないというのは不思議ではないですか?(昔から一向に変化しないとは、まるで卵の値段のようです) つまり、多くの親たちは未だに自分の子どもが、他の子どもに勝てるよう教育している。もう既にたくさんの物を持っているのに、それでも勝ち組に入りたい。もちろん皆が皆そうではないですが、今もってお受験だとか、ヨコミネ式がもてはやされている傾向を見れば、多くの親は未だに競争に囚われていることを、物語っているように思えてなりません。クボタ式もそうですよね。久保田さんは日本が外国に負けないようにとハッキリおっしゃってます。
しかし、競争に勝たせるために、子どもを教育する親の心の奥には、一体どのような気持ちが隠されているでしょう?(人よりも抜きん出てなければ、将来、十分なお金を稼げなくて自分の子どもが苦労するだろう)、(少しでもいい学校に行かなければ、人から遅れを取り将来子どもが困るだろう)などなど、恐怖と言うにはちょっと強すぎる表現だとしたら、不安という表現に変えてみますが、このような不安が原動力となって、子どもを教育している親が、意外と多いのではないかと思うのです。ある意味それも親心なのだと思いますが。
さて、前回の日記で紹介したビデオを観て、度肝を抜かれてしまった方、もしくは自分とは全く関係のない世界と、完全に切り離して見られた方、またはあり得ないと否定された方など、さまざまな受け取り方があったのではないかと想像しています。しかし最後までビデオを観た方は、怖いと思わされただけでなく、これからの人としての在り方が示唆されていることに気づかれませんでしたか?
私たちは子どものために、この地球がより良い世界となり、日本がより良い国になって欲しいと願っていることと思います。しかし、実のところは多くの人々の心は、恐怖や不安でコントロールされていて身動きできません。お金はそのいい例でしょう。お金の心配を全くしないでいられる人は、それほど多くはないはずですから。お金によって縛られている、お金によってコントロールされている、お金によって恐怖を感じている、ということがベースとなって、私たちは多くの人生の選択をしています。より良い社会作りに貢献するどころではありません。子どもの教育についても、心の底まで問いただして見てみると、意外なことに不安や恐怖や、お金の心配が横たわっていることに気づきませんか?
その呪縛から解き放たれるために必要なことを教えてあげます。
すごくシンプルです。
1.真実を見ること:
自分自身や自分の環境を、客観的に聡明に外から眺めてみてください。それが自然にできるようになると、自然と真実が目に入ってくるようになります。そのためには心を白紙にして、ニュートラルに物を見る目を持つこと。まずは自分の頭の中で作り上げている、既にある知識の檻の中から出る必要があります。
2.自分の心を見つめること:
自分の心を正直に勇気を持って見つめることで、さまざまなことが見えてきます。自分で自分を騙してはいけません。他人に対してよりも、自分自身に対して正直になるための練習の一つは、心から思ってないことは、建前だとしても自分の口から発しないことです。また頭の中の自分の声にも注意し、(本当にそうなのか?私は本当にそう思っているのか?)と、いつも自分自身に対してもクリティカルに問いただします。
3.恐怖や不安をしりぞけて愛を選ぶこと:
行動を起こす時、何か考えをまとめる時、果たして自分の選択の原動力は不安であるのか、それとも自信を持って「動機は愛である」と思えるかどうか。例えば、子どもに英語を学ばせるということを例にしてみます。なぜ子どもに英語教育をするのですか?その理由はなんですか?もし自分の中で(子どもに恥ずかしい思いをさせたくないから)とか、(英語ができないと将来、就職に困るから)など、不安がモチベーションになっているとしたら、それをひっくり返してみてください。「私は不安に踊らされまい。恐怖で動かされまい。うちの子が世界共通の言語を学ぶことができれば、この子の世界が広がり、人生が幅広くなる。そして何かお役目がある時には、世界に羽ばたくことができる人間になれるだろう(などなど)」。
私たちは世界をひっくり返すために、誰か一人が大きな力で地球を動かす必要はないのです。小さな一人一人の意識を変えるだけで、私たちを取り囲む環境というリアリティーさえ、変えることができるのです。例えば人類は自分と他を切り離した存在ではなく、全ての人々と繫がっている存在だと思ってください。思うだけでいいのです。
昨日、ご紹介したビデオを最後まで観られた方は、こんなに大きな問題は自分とは関係ないし、自分には何もできないと思ったことと思います。でもそれは違います。私たちに自分の責任が持てる範囲でできることがあるんです。それは決して外に働きかけ、周りを変えようとすることではありません。それよりも、自分の意識を変化させることにだけ、責任を持てばいいのです。
自分の意識が変化することで、そのエネルギーの輪は家族に友達に広がります。私たちの持つ力はちっぽけではありません。そう思わされてきただけなんです。既存の知識を取り払って考えてみましょう。想像してみましょう。私にはこれまで自分で気づいていなかった、無限の可能性があると、私の子どもには大きな可能性があると想像してください。その想像がまるでリアルであるかのごとく想像してください。このくらいしかできないとか、これが私であるとか、人生はこういうものであるとか、既存の概念を取り払います。そしてワクワクすること、共感できること、人と繋がっていること、人を愛していること、自分を愛していることなどなどを、これまでの(~であるべき)、(~でなければ心配)などどいう気持ちと交換してください。
地球上の多くの人の意識がそのように変化したらどうなると思いますか?自分の身体から意識を出して、外から地球を眺めている気分になって、人類のことを見てみましょう。
意識を変える、つまり思考を変えるだけで、人類が向かうコースが変わるとしたら?それが可能だとしたら?そしてあなたも、人類が向かうコースを変えられる一人だとしたら?
今日、どう生きるべきかおのずと見えてくることと思います。
P.S.
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