ルナをテキサスA&M大学の獣医科に連れて行くことになっていた月曜日は、バケツをひっくり返したような大雨でした。ひたすら真っ直ぐな道を走り続けるテキサスでは、ワイパーを一番早く動かしても、一寸前が見えなくなるほどの大粒で大量の雨が降る中、高速で走らなくてはいけません。なのでその日、手伝ってくれることになっていた友人のトリシャと私は、トラックで馬用のトレイラーを牽引して、数時間走っていくのは危険だと判断し、アポイントメントを次の日に変更しました。しかしそもそも、なぜ2、3時間もかかる遠くまでルナを連れて行こうと思ったのか・・・
うちの2頭の馬の足の手入れをしてくれている装蹄師のトレバーに、ルナの足を見てもらったところ、怪我をした後ろ足をかばうために、1本の前足に体重がかかりすぎてうっ血し、蹄葉炎という、馬が非常に苦しむことになる病気になるかもしれない、兆候が見えていると言われました。今のようにずっと後ろ足を使わずにいたら、2ヶ月以内には蹄葉炎になってしまう可能性があるので、近いうちに安楽死をさせてあげた方がいいか、それとも大学病院で診てもらい最後の可能性を模索したらどうか、というアドバイスでした。 トレバーは牧場で生まれ育ち、馬の調教師であり且つ装蹄師として、何十年も毎日何頭もの馬の足を見てきている人です。トレバー自身が痛みを経験しているためか、その日は「ルナが無闇に苦しまないで済むように、正直に話しするよ」と、普通なら言い辛いことを私に話ししてくれました。彼は自分自身が馬の事故で腰の手術を受け、今は足を引きずって歩いています。初めてトレバーを見た時、ピックアップトラックから降りて私の方にびっこで歩いてくる彼から、長年に渡る痛みが体全体からモワっと出ていているように見え、私は遠くにいても(痛みで辛そう)と感じられるくらいでした。
トレバーはルナの足を見て、「こんなことは言いたくはないが、キミとルナのためにハッキリ言うけど、希望はほとんどないと思っていいだろう。ルナの足が良くなって彼女が生きられるのは奇跡だと思う。ただ、だからと言ってすぐに安楽死をさせたら、きっとキミは後から(なにかしてあげられることがあったのではないか?)と後悔するに違いない。なので最後に大学病院で、彼女が良くなって生きられる可能性があるかないか、きちんと調べてもらってくるといいよ。」ということでした。
人間は片足がなくても生きられます。人間だけではありません。3本足で元気に生きている犬もたくさんいます。しかしそう言えば、3本足の馬は見たことはありません。重力の関係からか体重が500キロ以上ある馬の場合、足が1本ダメになることで体の他の部分が故障すやすいそうです。ちなみにルナは左後足を怪我したため、その足を使わないことで体左後方の筋肉がそげてきてしまい、体全体そのもののバランスが崩れてきています。私は馬という生き物にとって、ここまで体のバランスが大切だったということを知らず、例えルナの後ろ足1本が治らずにいても、生きててくれさえすればいいと思っていました。が、バランスが崩れれば生きることができなくなってしまうのです。
人間は片手がなくても、足がなくても生きることはできますが、反面、息子がこんなことを言っていたのを思い出します。「小指の先をほんの少し怪我しただけで、生活するのがずいぶんと不便になるんだね。ねえマミー、ボクが怪我しているのってたったこれだけなのにね」と、息子が小指を怪我した時に、自分の手をマジマジと見ながら、不思議そうに言っていました。確かに体に大きな損傷があっても生き続けることはできます。しかし、例えば風邪は万病の元と言われるように、小さなことが雪だるまのようになる場合もあります。でも何の病気もしていない時には、体というメカニズムがパーフェクトに機能してくれていることに、私たちは感謝して生きることを忘れてしまいます。
トレバーが砂埃をあげてトラックで牧場を走り去った後、私は馬たちの餌が置いてあるトタン屋根でできた倉庫に坐って、一人で嗚咽してしましました。トレバーの前では目から涙だけはこぼれていましたが、この時は抑えていたものが一気に吹き出た感じでした。そして(なぜ人は人前ではなく一人になって泣くのだろう?)と思いつつ、しかも(なぜこれほどまでに悲しいのだろう?)と考えつつ、感情を波を抑えられず声を出して泣いている自分に、冷静に思考しているもう一方の自分がビックリしていました。まるで自分の中に(悲しいなら泣きたいだけ泣けばいいのよ)と思っている私と、(なぜそんなに泣いているのだろう?一体なにがそこまで悲しいのか?)と観察している2人の人間が、同時に存在していたかのようでした。しかし、その日は感情の出番だったようで、これまでの人生の中で、こんなに泣いたことはないというほど泣きくれました。泣きつつも私は早速、病院に電話してアポを取りました。金曜の夕方だったためアポは月曜となりました。
アポの日は大雨だったので、アポイントを次の日の火曜日に変えて夕方牧場に行くと、遠くの空は紫色とブルーがきれいに2色に分かれていました。雨はザーザー降りから時折ポツポツと頬に当たるのを感じられるくらい。ほとんどやんでいました。私はいつもと同じように馬たちに餌をあげました。そしてルナに悲しさを伝えないように、自分の気持ちを抑えてコントロールしているつもりになって、ルナに近づきました。しかし馬はそんな偽りの心で騙せるものではありません。私が近づくとルナはスタスタと私から離れて行きました。昨日泣きすぎたために、まだ額と鼻の上が重く熱く感じられる中、“悲しんでいる自分がかわいそう”、“自分の気持ちを分かって欲しい”というエゴが心の中に潜んでいることを、怪我をして苦しんでいる当のルナに、お尻を向けられることで教えられるとは、更に虚しくなってしまいガッカリしていると、遠くからひょこひょことアンディーが歩いて来るではないですか。

「もしルナがあなたの馬だったらどうします?」と私が聞くと、アンディーは「何もしねえ。広い所で自然の中で好きなようにさせておく。いじらねえ。」と言いました。そしてその後ニヤっとして、「ま、それは今の状況だったらの話だけどね。でも俺だったら、最初に事故の場に居合わせてたら、その場で鉄砲でバンっ!よ」とゲラゲラ笑います。酔っ払いがふざけてるんだなぁと思って話半分に聞こうと思ったものの、彼の言い草や、物腰や、喋り方という表面的なことに囚われず、アンディーが言っている事の本質を見てみると、頷けるものがありました。どちらにしても医療でどうにかなる段階でないのなら、本人の生きる意志を引き出すために、人間がいじくりまわすのではなく、自然に治癒してもらうというのは、なるほどそうかもしれないと、私自身の直感とも結びつくアドバイスだと思いました。そもそも、ルナを数時間もトレーラーに乗せて、大学病院に連れて行くことに何か違和感を持っていて、大雨でアポを変更した時には、本心は心の中でほっとしてたのです。
私は大工のアンディーに「しかし、なんで馬のことがあなたに分かるワケ?」と聞くと、彼は着ている白いヘインズのTシャツをお腹のところでペロっとめくって、シルバーの楕円形の大きなベルトのバックルを出し、「このローピングのチャンピオン・ベルトは伊達じゃねえんだぜ」とニカアっとして言います。そっかあ、だから彼は馬のことを良く知っていたんだあ。
私はその時、ふと(なんかこの人は仙人みたいな人だなあ)と思い、何気に「アンディーってヨダみたい」と言うと、彼は「そのヨダって、誰でえ?」と言いました。きっとスターウォーズを見たことがないのですね、このおじさんは。それで「スターウォーズに出てくる仙人みたいなキャラよ」と説明すると、「けっ、ふざけたこと言ってんじゃねえやい」と呟いていました。この後、アンディーと色々なことを話して、私は更に彼はヨダみたいな人だという思いが強くなったのでした。
(続く・・)
※
アンディーの話はコチラにもあります
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ほっ。ひとまず安心しました。
先のことは分からないけど。
もしかしたら、心が裂けそうな瞬間も訪れるのかもしれないけど。
でも、マミ~は納得の決断ですよね。
うちではたった今、犬の安楽殺処置を行ったばかりです。
一般的には「安楽死」という言葉が使われるし、私もその方が気が楽ではあるんですけど、処置を下す側としては、あえて「安楽殺」と言うことでその重みを感じていなくてはいけないんだろうな、と漠然と思います。
人間の世界でも「尊厳死」は真剣に議論がなされていますね。
自ら死を選ぶ権利、とか。
飼育動物の場合はどうなんでしょうね?
飼い主とか獣医師にその権利ってあるんでしょうか?
私は分からないんです。
確かに、これを生かしておくのはきついな・・・っていう状況は存在します。
馬の蹄病もそうですよね。日に日にしんどい状態になっていく可能性も高いですよね。
痛みなんかは、もうできるだけ取り除いてあげたいと思うんです。
でも、命を奪って楽にしてあげよう、っていう判断は正直いいのか悪いのか分からないんです。
だって、本人が望んでいるのかどうかよくわからない・・・
獣医臨床に携わる限り、避けては通れない処置なのでね。
正直なところ、動物のためというよりは「飼い主さんのために」という気持ちですることの方が多いです、私は。動物のために、と思ってやる人は多いと思いますけど。
実際には、動物が苦痛や恐怖を味わうことは絶対に避けなければいけないので、うちでは深めに麻酔をかけた状態で行います。
「薬」を入れると本当にあっという間に命はなくなってしまいます。
その度に(恐ろしいものを手にしているな・・・)と感じます。
動物の安楽死は、人間よりもはるかに低いハードルで行うことができるけれども、同じくらいはるかに重い倫理的問題が横たわっているとも思います。
獣医にとっても飼い主さんにとっても難しい問題ですね。
でもその子のことを一番良く知っているのはやっぱり飼い主さんなので、最後の決断は飼い主さんが納得して下すべきものでしょうね。
生きるか死ぬかは自然に委ねる・・・
うんうん。
心の中で頷く自分がいるのでした。
投稿情報: はさみさ | 2009/11/08 23:48
はさみさ さん
そうですよねえ、動物たちの安楽死をお仕事としてやらなくてはいけない立場なんですよね、はさみささんは・・・
私、昔、何年も飼っていたビーグル(チョロ)の安楽死に立ち会った時
チョロの体から魂が抜けたと思った瞬間に、丸いボールのようなものが
胸のところをドスンとついた感じがしました。その時に魂って実体のある
エネルギー物質のようなものなのか?と思いました。
人間でも魂が抜けた死体は体重が軽くなるらしい、と言う話を聞いたことがあります。
>人間の世界でも「尊厳死」は真剣に議論がなされていますね。
自ら死を選ぶ権利、とか。
飼育動物の場合はどうなんでしょうね?
飼い主とか獣医師にその権利ってあるんでしょうか?
私は分からないんです。
私も同じことを考えました。
でもはさみささんのように、常にその選択・・というか
ジレンマによる問答をしなくてもいい立場にいるので
それに対する私の問答自体に重みがあるかどうかは分かりませんが・・
私の場合は、アンディーが言ってたように、自然の中にいたらルナはとっくに
おっ死んでいるという言葉ではっとしました。
もしかしたら、本来自然の中にいたらとっくに死んでいるものを
人間のエゴで生き続けさせていいものかどうか?と。
馬の安楽死の場合、牧場など広い所ではその処置をする横に穴を掘っておくそうです。
そして、大概はまず麻酔をして、そしてその後に薬を入れるそうです。
麻酔をはじめにしない場合もあるんですね・・・
そういう具体的な話を獣医さんから準備のために聞いておきました。
話を聞いてて涙がでてきちゃったので、獣医さんが気を使ってくれて
お会計はあとからでいいからと言われ、何かあった時の痛み止めの
麻酔の注射の会計を済まさずに、そのまま帰ってきました。
あれ、まだ支払いしてなかった。忘れてた。思い出させてくれてありがとう。(笑)
>その度に(恐ろしいものを手にしているな・・・)と感じます。
私はルナに痛み止めの注射をするのも怖いので、はさみささんの実感がヒタヒタと伝わりました。
なんで薬を体内に入れる注射って怖いんだろう・・・
私の友人は、注射を見るとその場で失神する人がいます。(笑)
しかし、獣医さんたちの多くは、はさみささんのように深く考えて仕事をしてくれているのでしょうか?
だとしたら、仕事は精神修行の場でもある、ということですね。
投稿情報: マミ~ | 2009/11/09 08:05