思うに、完璧な状態なんてあるのだろうか?
自分の心のバランスを取るのでさえ危ういのに、世界人類みな完璧に幸福になるとか、世界全体のことまで心配していては、目の前のことが見えなくなるっつーもんです。しかしアンバランスな人に限って自分の足元を見ず、ウルウルした目でとーーーおくばっかり見ているような気がします。自分の妄想の中で宇宙に行っちゃってるくらいなら、目の前の皿を洗いなさい、ランディー由紀子。
今年の夏、テキサスツアーに参加したお母さんたちと一緒に、うちの近所のおじさんに、馬のウンチと松の木を交換してもらいました。ええ~、馬のウンチ~?と思われた方、そんなことでビックリしないでください。自分たちのウンチ持ってったワケじゃないんですから。馬のウンチは元々草なんですから。で、ウンチを車に積みまして、うちの近所のおじさんの、道教+太極拳+漢方の先生の所に行きました。その、なぞの中国人のおじさんの所は、庭と呼ぶには広すぎる松林があります。どうもテキサスでここいら辺だけが、松林があるそうです。でもって松のようにチクチクとんがった葉の木は、氣がいいそうです。そっか、いいエネルギー出してんだな、ここは。
そこで、地面に落ちた茶色くなった松の葉を踏み踏み、子どもたちと松の赤ちゃんを掘り出して、ウンチと交換してきました。そして後から我が家に記念として植えました。でもって、真夏だったのですぐに枯れました。 そんな地味なイベントでありましたが、実はそこで私が見せたかった物は別にありました。
バランスチューブです。っていうか、今、勝手にネーミングしました。それはプラスチックの配水管のパイプの中に、ただ水を半分くらい入れているだけの物なのですが、木刀を3本まとめて持ったくらいの大きさです。更にイメージし難くなりました?すびばせん。で、とにかく、その水の入ったパイプを横にして、つまり地面と平行にして、太極拳をやっている人の立ち方で両手を前にして立ち、水入りパイプを前腕屈筋群にのせます。水が入った配水管のバラチューをぜんわんくっきんぐんにのせて立つんですね。持つのではなくて、ただ腕にのせて立つだけです。それで、体内の水、つまり血液、それとバラチューの中に入っている水を調和されて立つと、そのまま静かに立ってられるのですが、ほんのちょっとでもバランスが崩れると、バラチューの水が片方にザザーっと流れてしまいます。これがまた結構難しいんですね。体のトレーニングというよりは、メンタルのトレーニングです。でもなぞの中国人師父は涼しい顔して、簡単そうにやってました。私たちもみんなトライしてみましたが、見るのは簡単だけどやるのは難しいです。みんなで「おっとっと およよよ あれれれ できなーい むずかしーい」ってなもんで、バランスチューブではなくアンバランスチューブ、アンバラチューになっていました。ほんのちょっとバランス取れたと思って、心の中で(よしよし、できてるできてる、こんなできてる私を見て)なんていう雑念が浮かんだ途端、心が動いて体も動いて水も動いてしまいます。さて、このバラチューだとかアンバラチューとは一体なんなのか?それは・・・生きていることの縮図です。
パイプの中の水をそのまま固定させて動かさなければ、一回立ち居地を決めてしまえば、ずっとそのままの位置さえ保てれば、永遠に立ってられます。が、ほんのちょっとの動きにも、水は反応して動いてしまいます。しかも自分も水も固定に釘付けすることは無理です。ということは、水の動きに柔軟に対応して、常に調和を保っていなければいけない。ちなみに、そうやってバランスを取っている状態は、旗から見たら静にしか見えません。が、微妙に動いているのですね。さて、動かない水というのがあったとしたら?氷とか言わないように。 あくまでもメタファーで語っていますので、氷ではなく固定された動かない水のことを、固定観念と呼びますです。水が動くのと同様に物事も常に動いています。なので(私はこういう者よ)、(私の考えはこれで正しいのよ)、(私流の人生ってこういうものなのよ)・・なーんて固定観念でガチガチになるのは、そもそもが不自然なんざんす。ナンセンス ナンザンス。
他にも、これったらバラチューと同じじゃないか!?って思ったことがあります。たまに一緒に馬乗りに行っているオーランドという75歳くらいのおじいちゃんがいるのですが、彼は馬の上にその年になっても立っちゃうんですね。 の背中に立つんです。その時に彼が言っていた言葉が「年取ると体が硬くなるから、バランスを保ち難くなる。柔軟じゃないとバランスを保てないんだよ」と。私は心の中で思いました。(なるほど~、バラチューと同じことじゃん。これったら多くのことに当てはまる法則なのかも・・)と。
馬を扱っていて思うのですが、毎日毎日、馬との関係が変わるんです。私の心の動きも、彼らのリアクションも常に動いています。今日これで良かったと思うことは、明日必ずしも良いことにはならないし、逆のこともあります。水の動きに合わせて調和を取るように、毎日毎日、一瞬一瞬がゼロからのスタートで、これでいいなんていうことがありません。人生も綱渡りのように、常にバランス・調和を保たなければいけなくて、それが面白いところでもあるし、難しいことでもありますよね。人との関係もそうではないですか?今日、ある人と最高の関係になれたと確信していても、私たちの心はいつも動いているので、次に会った時には、その人との関係は同じではなかったりします。確固たる人生の答えとか、確固たる人との関係とか、このままで留まっていられる確固たる状況が続けば、安心していられるのになあと思うこともありますが、物事や心は水のように動いているため、そうはいきません。だとしたら、固執することを捨てて、常に柔軟に物事に呼応するようにクニャクニャしてた方が、生き易いだけでなく、成長し易いと思っています。更に言えば、物事は常に流動的。なので、固定観念を持ってその場に留まっていたら、変化についていけず成長できないよ、ということだと思っています。
でも、柔軟になろうと思っても、一夜でなれるものでもなし。とは言え、大自然の中にほっぽり出されたら、これまでの価値観だとか全部捨てなきゃ生きられないので、そういう場合は、生きるために一気に柔軟になるかもしれませんよ。私は元々その場その場の人間で、一貫性を欠いてても恥ずかしいとか思わないので、コロっと平気で言っていることを変えたりします。でも昨日言ってたことが今日違っていても、昨日は昨日で本気だったんだ。これは柔軟というのか、ちゃらんぽらんというのか・・・
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マミ〜
>人との関係もそうではないですか?今日、ある人と最高の関係になれたと
>確信していても、私たちの心はいつも動いているので、次に会った時には、
>その人との関係は同じではなかったりします。
深いですねっ。
先日、学生時代の大親友と久しぶり連絡を取ったのですが、なんだかしっくり来なくて・・・。
職業、未婚既婚、子どもの有無etc.様々な違いからお互いの価値観が変わってしまったのだと思い、
少しだけ寂しくなりました。まあ、当たり前なんですけどねっ。
>だとしたら、固執することを捨てて、常に柔軟に物事に呼応するように
>クニャクニャしてた方が、生き易いだけでなく、成長し易いと思っています。
>更に言えば、物事は常に流動的。なので、固定観念を持ってその場に留まっていたら、
>変化についていけず成長できないよ、ということだと思っています。
この言葉、心に響きました。
前向きに頑張れそうな気がします!
今日も感謝!ありがとう、マミ〜☆
投稿情報: ケロ | 2009/12/05 17:17
ケロちゃん
コメントありがとう♪
昔の友達のケロちゃんの例は分かり易いわ。
それが毎日会う人たちでも、同じじゃないかって思うんです。
自分の心だって日によって違って、気分のいい日もそうでない日もあるので
人の心だって、常に微妙に違ってるって思うんですね。
私は遠くに住んでいる親友に、「会う度に別人になってる」と言われました。
顔から雰囲気から違う人になっているらしくて、それが面白いらしい。
投稿情報: マミ~ | 2009/12/07 01:42