昨日のトレーニングは快調でした。こんな小さな出来事から、ものすごく大きな幸福感を感じます。幸福感や悲壮感というのは、それらを感じるものの大きさや重要さに、決して比例しているワケではないと、最近つとに思っています。
会社で昇進したうれしさと、今日、馬の調子が良くてすごくいい気分になれたということは、普通に考えれば、会社での昇進の方がうれしいと思うに違いありません。でも、うれしさを感じている心の喜びは、事の重大さや大きなに関係なく、何でもない小さなことでも、一日中心が躍るような気持ちにさせてもらえます。昨日がそんな日でした。
昨日はサニーの調教がものすごく上手くいきました。歩く前にはまずは頭を少し下げさせて、(はい、わかりました)の状態にしますが、右の方に行く場合、右手の小指でレインをコチョコチョとするだけで、サニーは頭を下げるようになりました。左に回る場合はその逆です。コチョコチョする手の反対の手は、サポートをしているだけです。それだけでなく、昨日から、とてもソフトな合図に反応して、動いてくれるようになりましたが、しばらく前のことを考えると夢のようです。
これは私の心が変わったからだと思います。私は昨日、なぜか前にトレバーが言っていた一言を思い出しました。「コイツは自分がついて行きたいと思えるリーダーを欲しているんだ」と。トレバーに言わせると馬は決して、ベタベタかわいがってくれる人を探しているワケではなく、信頼できて自分の身を委ねることができるリーダーを求めているそうです。私は昨日その言葉を思い出して、頭の中でそのイメージを持ち、それがサニーにとっては安心できてうれしいのだ、と思ってみました。すると具体的に私の何が変わったのか自分でも分からないのですが、サニーの様子に大きく変化がありました。
以前、サニーは首を下に下げるということが、全くできない馬でした。ホルターのロープを下に下げると、どんどん後ずさりしていたんです。なので、まずは後ずさりしないように、サニーのお尻をパイプフェンスにつけて、それ以上後ろに下がれない状態で、首を下に下げることを何度も教えました。そんな状態だったので、コチョコチョだけで首を下に下げるのは、ものすごい飛躍。今ではコチョコチョすると、左の目と目の周りの辺りから、(ボクは準備OKですよ、いつでも前に出れますよ)と、私に話しかけてくれているような氣が出ています。その時には、私は足で触れることさえ必要なく、丹田の辺りで(行くぞっ)と指示すると歩き始めるくれます。逆に止まる時は、レインを引っ張らなくても、また「止まれ」と身体で強く指示しなくても、息を(ふう)と吐いて“乗るのをやめる”と止まります。これは氣を抜くみないな感じです。
なるべくソフトに乗りたいというのが私の希望です。指示していることが、目で見えなくくらいのコミュニケーションを馬と持ちたい。つまり足で蹴ったり、レインをガチャガチャ動かしたり、はみをギュウギュウ引っ張るなどは論外ですが、目に見えない氣の動きで、馬に指示が伝えられるようになりたいのです。それには馬と意思疎通が深くできてないといけないし、その前に馬から信頼されてないとできないことです。怒鳴って叱って無理矢理やらせるのがリーダーシップではありません。しかし、強くあることとはそういうことだと勘違いしている人が多いように見受けます。
私は競技などには興味ありません。氣で馬に乗っている状態で、競技ができるなら別ですが、自分の人生ではそこまでは達成できないと思います。でもヨチヨチ歩きの頃から馬に乗っていて、ナチュラル・ホースマンシップをマスターしている人たちには、それができる人たちもいるみたいです。パレリのイベントに行った時に言っていましたが、ナチュラル・ホースマンシップが機能していることを世に広めるために、カッティング・ホースの大会に腕のある人たちを出場させたら、上位の2位、3位、4位を占めることができたそうです。
サニーの話に戻りますが、虐待されてたサニーを去年の2月に連れて来た時には、今の半分くらいのサイズで、あばら骨が見えていた状態でした。そしてサニーの元オーナーは、タイダウンという首が上がらないようにする器具をいつも使っていたそうです。それを使わないと首を下に下げないからだと言っていました。サニーはタイダウンを上に引っ張るクセから、筋肉のつき方が首の上部ではなく、首の下についてしまいUネックと呼ばれる首のカーブができていました。私はサニーを買う前、オーナーが側にいましたが、「キミはラクダかい?」と思わず言ってしまったくらいです。ま、その人は「馬は道具だから、馬には名前なんてつけないよ」と言っていたし、餌をちゃんとあげていなかったくらいの人でしたから、自分の馬がラクダみたいと言われても、何も感じなかったと思います。
しかし、どうしても理解できないのは、ちゃんとトレーニングすれば、負荷を与えなくても自ら首を下に下げるようになるのに、それをやらないバカ馬だと思って、きちんと教える代わりに器具を使って無理やり首を下に下げさせるという行為です。これは馬がバカなのではなくて、人間が動物に対する思いやりや、忍耐が足りないというのが問題だと思えてなりません。時間をかけて基本的なことをちゃんとやって、忍耐をもって親切に教えれば、虐待されてきた馬だって学ぶことができます。サニーのケースでそのことを証明できます。
サニーは私が牧場に連れて来た頃、その時の私の乗馬のトレーナー(ジム)だった、ショーホースの調教師からも、見込みがないと思われていた馬でした。なのでジムとのレッスンにはルナを使っていましたが、サニーにはお手上げという感じで、サニーをレッスンには使わせてくれませんでした。そんな全く見込みのない駄馬のサニーでしたが、コンファメーション(体の形)そのものも変化して、連れて来た当時の(お前はラクダか?)という首はなくなり、今は人からビューティフル・ホースとかハンサム・ホース言われるようになりました。人間が施す調教によって、体つきまで劇的に変わるのですね。
さて、今日もサニーに乗りますが、昨日調子が良かった状態が、今日もそうであるかどうかは疑問です。でも馬は、そのように毎日が白紙の状態だから面白いです。私はこれを自分自身の心の修行だと思っています。なぜなら、馬の状態は自分の心の鏡だから。昨日調子が良かったことに有頂天になり、慢心でもってサニーに接したら、今日はきっと上手くいかないでしょう。なので心を白紙にして、今日も彼と接したいと思います。
ペッパーは丸柵でのトレーニングが上手く行っていて、今はロープでつながなくても、私の後をついて歩くようになりました。数メートル離れて向かい合わせに立った状態で、カモン、カモンと手で招きいれるジェスチャーをすると、私の方に歩いて来てくれます。その時、手の平を彼女の方に見せると止まります。最初ホルターを付けてリードして歩いている時に、私が止まっても足を止めないことがあったペッパーですが、今は私の足の動きに合わせて、歩けば歩くし、走れば走るし、止まれば止まるようになりました。コツが分かったのですが、とにかく小さなことで教えることを徹底するということです。たった一歩を直しておかなければ、それは一歩ではすまなくなります。
フリーランジでは、トロットしている状態の時に、口から息を大きく吐き出して氣を抜くと、トロットから速度を緩めて歩くようになりました。グランドでここまで理解してもらったら、もう乗っても大丈夫だと思って、昨日初めてペッパーに乗ってみました。ラスティーとロレインが言ってたのですが、ペッパーに人が最後に乗ったのは約3年前だそうです。ペッパーは3年間、何のトレーニングもされず、野原でぬくぬくと生活し、毎日自動的に餌を与えてもらっていました。だから、めちゃデブ。
デブのペッパーのお腹周りを、腹帯が短すぎないか気にしながらサドルを着けていると、ロレインが帰って来ました。昨日は寒かったのですが、病院の制服を着たまま(ロレインは手術専門の看護婦さんです)、ジャケットだけを上に羽織って車から出てきました。そして、丸柵の外で震えながら見ていました。ラスティーも同じ頃帰ってきて、トラックを丸柵の脇につけて見学していました。彼らがペッパーの親です。子どもを保育園に預けた後、窓から子どもの様子を覗いている親の気持ちのようだったと思います。幸い彼らは、私のやっていることには、一切口出しをしないで見てくれていました。
乗ってみるとペッパーは最高でした。丸柵のすぐ横のフェンスごしに、さかりのついたアラビアンのスタリオン(雄の種馬)が、ヒヒーンヒヒーンと興奮してうるさかったにも関わらず、ペッパーは私にフォーカスしている様子で動じてませんでした。ま、生理的にそういう時期ではなかったからだと思いますが、でも、どんな馬でも気が散ってしまうくらい、横でスタリオンがうるさかったので、ペッパーの動じないという性格を垣間見れてよかったです。ちなみにロレインの方が動じていて、何度もスタリオンに「うるさーい」と言っていました。(笑)
ペッパーは止まる時にはみを少し引かなくては、私の身体を感じてだけは止まってくれませんでした。でも昨日、初めて私に乗られたワケですし、しかも3年も人間に乗られてなかったのですから仕方ありません。これからが楽しみです。ちなみにペッパーはいつでも自由に使っていいと言われていますので、トレーニングし終わったらうちの夫にペッパーでレッスンしようと思います。いつか夫と二人で自由にトレイル・ライドに行きたいのです。でも、サニーはすごく強くて支配的な性格なので、乗る人がよっぽど氣が強くないと、思う通りには動いてくれません。ルナが健康だった時も夫の言うことは聞いてくれませんでした。でもペッパーなら従順だから大丈夫そう・・・。たぶん・・・。
ペッパーに乗る前に、ロレインがペッパーには乗らなくなったワケを教えてくれました。激しいトレーナーの所で調教してもらった後、ペッパーは静かに動かなくなって、すぐに走り出したりするようになったそうです。一体、お金を払ってどんな調教を受けてたのか?という感じですが・・それで、普通に静かにトロットをしなくなって、危ない馬になってしまったため、誰も乗らなくなったそうです。ちなみにラスティーは一回放り投げられて、骨を折ったそうな。
しかし、昨日ペッパーはそんな様子は全くなくて、トロットしている時でも口をくちゃくちゃさせてましたから、かなりリラックスしていたはずです。ロレインは「ビューティフル・トロット~~」と興奮していました。そしてトレーングが終わった後、私に「サンキュー、サンキュー」を連発していて、私の荷物を持ってくれました。その様子から察するに、ペッパーは一体どんな馬だったんだ?という感じで、ちと怖い。でも私には、ペッパーが人を振り落とす馬にはとても思えなくて、人間がはみをギューっと引っ張ったり、無闇に蹴ったりしたんじゃないか?としか思えないのです。
さて、この先どうなることやら。ペッパーは私が感じているように、超いい子なのか?それともどんでん返しで何かしでかしてくれるのか?一応、細心の注意は払っておきます。若くないので大怪我はできません。
でも今日は、サニーもペッパーも鞍をつけないで、裸で乗ってみようと思います。
P.S.
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こんにちは。いい意味で少し別人のように変わったおーやんです(笑)
馬の調教というお話ですが、子育てと比喩しながら読んでいます。
子どもも馬と同じですね。
今シュタイナーの本を読んでいます。馬が「自分がついていきたいと思うリーダー」を求めているように、子どもは正しい大人(権威ある大人)に導いてほしいんですよね。12歳くらいまでは。
だから私は「いまここ」を大事にするようにしています。
今ここに私が存在している限り、10年後の未来へ思いをはせるのではなく、目の前にあるもの(コト)にフォーカスすることが大事だと思っています。
でないと、料理中に指を切るかも・・・です。
(↑冗談ではなく、本当に大切なことです)
子どもは親の背中を見て育つ、そして親の見方から世界を見る。
最近やっとその意味が、深く理解できたような気がします。
私も今の現状に慢心することなく、今を生きようと思います。
投稿情報: おーやん | 2009/12/12 20:39
おーやん
ハロ~♪
>こんにちは。いい意味で少し別人のように変わったおーやんです(笑)
あ、やっぱりぃ?なんかそう思った。
今回のおーやんのコメント見て、おばさんは涙目になってしまいました。
私は人に伝えたいことがあって、それったらおーやんが書いてくれたようなことで
そんでもって、理解してくれる人もいるんだなあ、、って思って。
ま、それはおーやんが自然に学んできていることと思いますが。
それでも、なんか共有できる意識みたいなものがあってうれしいです。
投稿情報: マミ~ | 2009/12/13 05:25