ゼファラスは年上の馬たちと一緒のパスチャーで、先輩たちから喝を入れられて育ってきていませんでした。別なスタリオンの横のひろーいパスチャーを独り占めして、きれいで広い素敵な牧場で彼は育ちました。ボンボンのアラビアン君です。なので、最初はサニーにやられるだろうと思って見てたら、案の定、ラウンドペンから出した途端、「いやっほ~~い、ボクと遊んで~~」と、サニーの領域を侵して近づいて行き、そこでサニーに「この若造がぁ、俺様の隣に来るとは100年早いぜっ」とばかりに、2回ほどバッコンバッコンと蹴られて、先輩後輩のイニシエーションは終了しました。そして、ゼファラスは(相手との距離を考えずに、近くに寄りすぎたら蹴られるのね)ということを学びました。
相手が誰であっても、自分は自分は自分は・・とお構い無しに侵入し、他人との距離をどのくらい置いたらいいのか、人間でも人の領域を尊重できない人っていません?こういう人は“一見”無邪気に見えるかもしれません。でも、馬だって無邪気に他の馬の領域を尊重せずに、相手の領域に入っていったら、バコンと蹴飛ばされます。人間の場合は馬と違って、体ごと相手の領域に入って行く訳ではありませんが、人を尊重せずに、思考の部分でズカズカと入ってきます。これは決して無邪気な人ではなく、本当は失礼なヤツなんです。
馬をやるまで、私は人間関係の中で、自分の領域を侵略されている、もしくは反対に自分が人の領域を侵略していることに、あまり敏感に気づいてなかったのですが、この年になって初めて、馬から人の領域を尊重することを教えてもらいました。マスターした訳ではないのですが・・・。しかしもし、大人になっても人の領域に入ってくる人がいるとしたら、これまで社会の中で人と交じり合って、いっぱい蹴飛ばされる経験がなかった人なんだろうなあ、って思っています。こういう人は、ゼファラスがサニーにやられたように、蹴飛ばされれば学ぶかもしれませんが、私は過去いっぱい蹴られてきても、それでも(蹴ってくれるということは、私のことを好きなんだわ~)って考えてたかも。でも、それはぜんぜん違ったんだ。ただ単にあっちに行ってて欲しかったんだ・・今やっと、そう理解できるようになりました。
しかし逆に、あまりにも人との距離感が分からないため、人間関係が怖くて、敢えて人に近づこうとしない人もいますよね。このように人とすごーく距離をおく人は、一見、謙虚そうに見えるかもしれません。でも謙虚なのではなく、もしかしたら遠巻きに人のことを観察していて、隙あらばグイグイ入ってくる人かもしれませんよ。馬の雌たちにその傾向があります。
トレバーが牡馬と雌馬の特徴を言っていました。雄(男)たちは、ゼファラスがサニーにしたように、バコンと蹴られるようなことをするらしいんですね。そして力でどちらが上かその場で決まれば、その後は上下関係がハッキリする、と。人間が調教する場合でも同じ傾向があるらしく、一回バシっとどっちがリーダーがハッキリ分からせれば、後は扱いが割りとシンプルらしい。しかし、「雌(女)たちはそうはいかないんだよなあ」と言います。雌は、一気に蹴られるようなことをせず、遠巻きに少しずつ様子を見ながら近づいてくるらしい。そうして隙を狙っているんですね。人間が調教する際は、適当に言うことを聞いていて、叱られるようなことをせずに、でもその間に人間をよく観察しているそうです。そして、こちらが安心して気を緩め、隙を見つけた途端(私の方が偉いのよ)って、我がままをはじめる・・・
トレバーに言いました。「ちょっと、それったら私たち女のことを言っている訳?」って。そしたら彼は、「ちゃうちゃう、本当に雌馬にはそういう馬が多いんだよ。だから俺は雄馬しか持たないんだよ」と。アンディーも雄しか持たないって言ってました。「雌は生理があるからよ、昨日までは最高の馬でも、今日生理になりやがったら、競技の時にはもうめちゃくちゃ。使えねえっ」と。私たち女ってそんなもんなんですかい?
ところで、人は、昔はもっと他者と交じり合って交流していたと思います。でも、テレビができ、外に行かずに家でテレビを観るようになりました。その時は家族で一緒に過ごしていましたよね。今はコンピューターで自分一人で、個室にこもって何かしています。コンピューターはテレビと違って、家族と一緒に見ません。現代の子どもたちの多くは、一人っ子か二人兄弟が多く、たくさんの兄弟と何をシェアする必要もなく、小さい頃から個室を与えてもらっています、よね?うちの子も一人っ子なので、全くもってそういう環境でした。お母さん自身も、核家族化の構造の中、専業主婦で子育てしている人は、自分から積極的に外に出なければ、人に揉まれて学ぶ機会はほとんど得られない。でもって、ご主人はほとんど外に出てるから、家庭ではママが一番。
でも女性は、社会に参加したくたって、小さな子どもがいたら難しいですよね。私もうちの子が赤ちゃんの時、つくづくそう感じました。社会から隔離されている、社会からおいてきぼりにされている・・・って。だから、敢えて自分から積極的に、社会に参加できる何かを持っておかないと、自分自身が人から揉まれて学べないだけでなく、自分の子どもに、他者との交流や摩擦によって、学べる環境を与えてあげることができなくなってしまいます。
もし、このまま個人が他者と交じり合うことがどんどん少なくなったら、自分だけの世界、自分だけの意見、自分だけの考え・・・これを人とシェアし、人との意見との違いや、考えの違いや、自分の世界観と人の世界観は違うのだ、ということを知るトレーニングがされず、いぼじになります(一瞬デーブ・スペクターにのりうつられた)。いぼじじゃなくて、意固地になります。意固地とは主観的なものの見方をし、他との関係が見えないので、“自分の思っていること”という、点だけしか見えない。
でもその反対になりたい。自分の子どもには、自分の意見や自分自身さえも外から客観的に観測でき、他者の意見とつき合わせてコミュニケーションし、点ではなく全体像を見ることができる、そんな人間に育って欲しいものです。逆の場合、もし科学者が、様々な見地から客観的に考察するのではなく、「ボクさ、こう思っているんだよね。だから、これが正しいんだよね」って考えたら?想像するだけで怖いです。
点しか見えない子どもを育てないためには?一つは、お母さんが外に出るしかないかしら。これは外で働けということではなく、色々な人と交流しコミュニケーションしたらいいと思うのです。その時には、全く地を出さないでじっと眺めているだけでは、摩擦も起こらない代わりに、学びも得られないかもしれまんせんね。大人しそうに見えて、地を出したらみんなに攻撃されるヤツだった・・でもいいんじゃないのかしら。内に篭って人に地を見せてない時には分からなかった、本当はすっげえ我がままだったとか・・自分で分かるようになるもの。(笑)
ちなみに私はもともと社交的ですが、でも他のお母さんたちとのお付き合いは、正直言って面倒臭かった。料理のレシピを集めて、それを売って学校の寄付を集めましょうとか、面倒っくさくてたまらんかった。だけどやりました。子どものために。うちは一人っ子でしたから、たくさんのお母さんと仲良くならないと、一人っ子の子どもを他の子たちと遊ばせてあげることができなかったんです。アメリカは特に、日本みたいに近所で勝手に遊んでおいで~ってできないんですね。あ、でも、今、日本も同じような環境になりつつあるのかしら?
私自身、お母さん同士のお付き合いは苦手でしたが、でも、子どもが小さい頃から、親もずっとお付き合いしてきて、家族みんなで一生の友達になれた人たちもいます。何気に子どもが小さい頃からしてきたお付き合いですが、今では子どもにとってだけでなく、自分にとっても本当に宝物だなって思っています。そのような人間関係は、子どもにお金で買ってあげることはできません。
チルドレン大学のお母さんたちが、近く大阪でオフ会をするみたいです。大阪近辺にお住いのチル大生のみなさん、いいチャンスよん。自分の地を出す練習をしてきたら?(笑)
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ずかずか他人の領域に侵入している…
今の私にぴったりな忠告です。
「私。私!」にならないよう、もう少し考えて
行動しようと反省です。
実践で学ぶしかないですよね。内にこもってないで
どんどん飛び出して鍛えたいと思います。
投稿情報: まよけちゃ | 2010/02/17 00:35
まよけちゃちゃん
チミは私、私じゃないでしょう?
そういうイメージ、ぜーんぜんないんだけど。
想像もできんよ。
子どもが4人いたら外に出るのも大変だけど
でも、色々な人と関わる機会がたくさんあるといいね。
鍛えておいで~~
投稿情報: マミ~ | 2010/02/18 12:46