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子育て中の方は、是非、こちらを読んでみてね
学力は全米トップ0.1%の子とは、実はこんな息子でした・・・
最近、息子と話ししてて、彼の面白い度は結構ダントツいってると思っている、親ばかまるだ~し。この愛しい息子が、あと1年ちょっとで我が家からいなくなると考えると、想像しただけで、(仔馬でも育てるしかないか)と、そっちに気が行ってしまいます。(爆)ああ、うちの子はもうすぐ大学生になっちゃうんですよね。
昔、結婚したての頃、少しばかり考えたことがありました。仕事をバリバリやるキャリアウーマンになるか、それとも子どもを作って家庭に収まるか・・と。5分くらい考えて、すぐにでてきた答えは(両方できるじゃん)でした。一つだけ選ばなきゃいけないなんて、決まりでもあるワケじゃなし。私はその両方が欲しかったんです。そして今、昔のことを想い出すと、仕事をしていた自分は、まるで子どもがいなかった女みたいでした。そして、子どもと過ごしていた想い出は、自分の中ではまるで専業主婦でもあったかのような、子育てしかしていなかったような記憶になっています。つまり、仕事していた自分と家庭での自分は、ハッキリ二つに分かれていて、記憶が混じり合ってないんです。
で、その後、子どもをどう育てたいか考えた時がありました。私はこれも欲張りました。息子には自分の生きたい道を自由に選んで、自分自身が幸福に生きつつ、彼のやりたいことで、人や社会に貢献できる人間になって欲しいと思いました。私の中では、自分の子どもの幸福だけではなく、息子を社会で役に立つ人間に育てる!ということが大きな課題となったのです。だけどこれも、その二つが揃わないとダメなのね。自らの幸福+他の幸福への貢献です。もしくは自らの幸福=他の幸福への貢献。そして、他への貢献はできるだけのことをして欲しい。
息子の持つ能力を伸ばし、その能力を社会に還元するには、教えなければいけないことがたくさんありました。それには学校の勉強に四苦八苦してる時間などありません。が、しかし、学校教育が存在する限り、そのシステムの中で上手くやれないと、子どもにとって生き辛くなります。そこで思ったのが、学校の勉強なんか「できて当然」という状態。そのためには、脳体力と学べる力と想像力と創造性などなど、基本的なことを養ってあげればいいと思ったのでした。
学校の勉強はできて当然という状態だと、自由な時間がたくさん持てます。運動したり、遊んだり、読みたい本を読んだりできます。また受験で悩んだりしなくて済みます。つまりどの学校に行きたいかという選択を、自分で自由にできるようになります。そして、そういうことに煩わされる時間がないので、更に自由な時間をたくさん持てます。
今、彼は、大学にアプライする前ですが、一日に勉強している時間は、普通の学生よりもかなり少ないと思います。一日に3、4時間くらいじゃないかな、彼が勉強してるのは。今はホームスクールなので学校の勉強と受験勉強を足して、それだけの時間です。なので普通の高校生よりも時間がたっぷりあります。息子はそのことを「ボクには考える時間がたくさんある」と言っています。そして大学では哲学や政治科学を学びたいらしい。考える時間がたくさんあると、哲学的なことや社会について考えるようになるんでしょうかねえ。
しかし、時間が自由に使えるというのはいいですよ。ギターいっぱい弾けるし、考える時間たくさんあるし、読みたい本をたくさん読めるし、遊べるし、行きたい所に行けるし、興味を持ったことは何でも試せる時間があるんです。
更に言えば、息子は学校の勉強はしてきてないけど、色々なことを学んできたので話しが面白い。大人と普通にディスカッションしているところを見て、大人たちが息子の意見を一人の大人の意見として、尊重してくれているのが分かるし、私が仕事で分からないことがあれば、うちの息子に教えてもらえるし。精神的な話では私よりも深いし。コメディーや芸術や文化や哲学や歴史や科学についても、色々な人と深く話しができるし。おまけに体が健康でよく動くから(膝は普通に歩けるようになりました)、家の仕事とかすごく役に立つし。親子でボランティアしたりできるし。この日記のタイトルのように、全くもって、最近、息子が本当に面白いのです。
今つくづく親として、良かったと噛みしめて思えるのは、彼が自分のやりたいことができる、選択肢が非常に広いということです。「ドゥーゲンなら自分がやりたいことは何でもできるだろう」と、彼はよく人から同じように言われます。これって、本来はうちの子だけでなく、子どもたちみんなに当てはまる言葉だと思うのです。
さて、ドゥーゲンは哲学や宗教や心理学や経済や政治に興味ありますが、ポワーンと夢見がちの子ではなく、結構現実的に地に足がついていて、大学はいいところに行こうと思っているようです。そして多分、親が大学の費用どうしたらいいのか?という問題以外には、大学は彼が選んだ所に行けると思います。
彼は「オバマが三流大学行ってたら大統領にはなれなかったでしょ」と言うので、「でも人間をそういうことで判断するのはよくないよね」と私が言うと、「それはもちろんイヤなことだけど、現実的には人ってそういうものじゃない?人と会った時にどんな服を着ているか、どんな容姿か、実際問題として人間ってそうやって人を見てるものでしょ?それは人間が目で見た情報で、まずは人を判断するという、根本的な習性が変わらない限り、社会のシステムだって変わらないかもしれないよ」とのこと。
理想としては、そういうことではあって欲しくないけど、でも現実は違いますね、確かに。口では人を外見では判断しないと言いつつも、全くしていないかと言えば、誰しも絶対にそれはないって、自信を持って言えないのではないかしら。それはもしかしたら、動物が他の動物を見た時に、目で見た情報のみから何であるか判断しているように、人間も人を見た時に、目に見えるような表面的な情報で、まずは人を判断しているのでしょうね。だってそれ以上の、人が何を考えているとか、またはその人の過去など、深いところなんて見えないのですものね。もちろん人のことを深く知った後は、また別の話しですが。
それで、まあ、息子の自慢話をし出すと止まらなくなるので、この辺で〆ますが、うちの子が選択肢をたくさん持てたのには、私たちが普通の人たちよりしてきたことがあるんですね。それは本の読み聞かせなんです。そして、これさえちゃんと上手く効果的にやっていれば、多くの子どもたちも、塾に行ったり、受験で苦しんだりせずに、しかも一人一人の持つ才能が活かされるための、自由な時間がたくさん持てると思っているのです。私は、それったらみんな、普通にやってるんじゃないかって思ってたのですが、どうもそうではなかったということを最近になって初めて知ったのです。
ということで、これから読み聞かせについて深く話しをしていこうと思っています。
(続)学力は毎年全米トップ0.1% 秘訣は読み聞かせ
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