サニーを手放すかどうかについて、多くの方からコメントをいただきました。mixiでもたくさんのコメントをいただき、涙目になりながら読ませていただきました。みなさんがまるでご自分のことように、エネルギーを使って考えてくださっているという、そのご好意が本当に身に染みてうれしかったです。
皆様のお気持ちに、ここで深く感謝の意を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。
右とか左とか完全に正しい答えが出せない悩みは、数学の回答ように正解が出せないところが、またそれも人生を豊かにしてくれることでもあるのでしょう。
私は仕事柄、多くの人たちと関わることをしていますが、以前は答えが明確に出せないことで悩んだり、考えあぐねたりしている自分は、弱っちいリーダーだと思って、いつも反省していました。でも、最初から何も迷わずに答えを知っているよりも、自分が出す結論によって起こるであろう、様々なシチュエーションを想像し、そして迷いながらも最終的に決心することによって、自分に与えられた課題を、更に噛み砕いて消化できるようになるのではないかと、そして、それが成長の糧なるのだと、今回つくづく思いました。
今度のことは、本当に自らを成長させてくれるよい課題となりました。そして事実として、またもや馬によって大きく学ばされました。私はこのことによって、馬との関わりだけでなく、自分自身がどう生きていきたいのかという、とても抽象的で、且つ人として生きるための基本的な疑問に対し、言葉にして定義を定め、思考を固形化することができました。
このことで改めて心に刻むことになったのは、私は「生きるものの成長のために生きたい」という気持ちです。
先日、牛追いの競技で素晴らしい馬に乗らせてもらったのですが、最後の方で・・変な話ですが・・私は飽きてしまいました。そして、まだ大勢が遊んでいる途中だったのですが、馬を洗ってサッサと帰宅しました。昔のことを思い出しますが、子どもの頃から様々なスポーツ競技をかなり真剣にやっていたのですが、自分の中で競争で勝ちたいとか、人よりももっと上手くなってやろうとか、そういうことにメラメラを燃えた記憶がなく、なので何でも2、3位という器用貧乏選手で、何にも1番にはなれませんでした。
一番になりたいとか真剣に思ったことがなかったのです。それは、そのことに意味を見出せなかったので、興味がなかったのです。でも、馬にはまってからというもの、若い時に運動していた頃よりも、毎日馬鹿のように練習しています。牛追いの競技の後、サニーを手放すか考えた時に、そんなことを思い出しました。目指すところはいい馬を持って、何かを競技をすることは、そもそも私の興味の対象ではなかった、ということを改めて感じたのです。
では、一体何に興味があるのか?それは自分自身を含め、馬や人が今いる位置よりも一歩でも前に成長できる、そのお手伝いをすることに、私は喜びを感じるのだということをつくづく思いました。
トレーナーのウィルからサニーを買い取るオファーを貰った時、悩んだ一番の原因とは、これ以上サニーを迷わすようなトレーニングを与えたくないということでした。ウィルならきちんとしたメソッドがあり、効果的にサニーをトレーニングできるのではないか。それを未経験な私がやろうとしたら、サニーに無駄な調教を入れてしまうのではないかという、自信が持てない自分の懸念があったのです。
でも、サニーはサニーの今のそのままでいいじゃないか。そして、今よりも一歩づつ前に進めればいいじゃないか。私は心から改めてそう思うことができたので、サニーを譲らずに、自分の手元において一緒に生きることにしました。ルナを怪我させてしまったことに、罪悪感を持っていて、もう二度と私の無知のために、馬を犠牲にすることはできないと考えていて、サニーの件でも、未熟な自分の犠牲にしたくないという気持ちが強かったのですが、でも、決心しました。自信がないから人にやってもらおうという気持ちを捨て、私は未熟ではなくなります。がんばります。
迷っていた時に、仕事でケンタッキーに行っていた夫に、「サニーを売ろうかどうしようか考えているけど、どう思う?」と聞くと、夫は「売らない方がいいよ」と言いました。ちなみに夫は馬きちがいじゃありません。どちらかと言うと、馬よりも池にいる魚やアヒルの方が好きみたいです。私は彼に、「でもウィルの方がサニーにとっていいかもしれないじゃない。なんで売らない方がいいと思うの?」と聞くと、一言「サニーはファミリーだから」と言っていました。
今日は母からメールをもらいました:
体に気をつけてください。
こんな家族に囲まれているのだから、使えないへタレ馬を持っていても、罪悪感を感じずに済みます。
気持ちがふっきれた後、昨日の夜、ラスティーの牧場に馬たちに会いに行きました。ボヤっとした月明かりがある満天の夜空の下、虫たちの声しか聞こえない中、サニーにリードロープをつけて一緒に散歩をしました。彼は私の歩調と全くシンクロさせて歩いていました。頭を下げて何の心配もなさそうにリラックスして歩いていました。少し草を食べましたが、草よりも私と共有できている時間がうれしかったように見えました。
今日、サニーに乗りましたが、ここ数日のサニーとは全く違う馬になっていました!先日、「でも、馬には私が考えていることなど、きっと知る由もないのでしょうね。」と書きましたが、私は間違っていたかもしれません。私の心がここにあらずで、サニーを人に譲ろうかどうしようか考えている間、サニーはその気持ちを察知して不安になっていたとしか思えません。今日はこれまでのサニーとの関係が、ものずごく大きく変わり、今まで動きが固かったこととか、できなかったことが、彼との意思疎通がスムーズにできて、ウソのように簡単にできていました。
今日は、サニーのようなレスキュー・ホースを専門にトレーニングしている、ブランデンという20歳の女の子に、サニーを査定してもらいました。なぜなら、これもまたビックリする出来事ですが、昨晩、ラスティーを通じてブランデンから牧場にいるサニーを見て、サニーを買いたいとオファーされたからです。
彼女にはサニーを売るつもりはないと伝えましたが、彼女の経歴を聞くと、サニーのような馬のトレーニングをずっとやっているということで、今日会ってサニーにはどのようなトレーニングをしたらいいのか、査定してもらうことになったのです。私はまずグランド・ワークをし、そしてサニーに乗って彼女にサニーの様子を見せました。
彼女は、「こんなにも心が通じ合っている馬とオーナーはめったいにいないわ。あなたがサニーを売りたくないというのはもっともな話だわ」と言ってくれました。そして彼女がサニーに乗り終わると、「こんないい馬はめったにいないでしょう。全然問題ない。ただちょっと時間が必要なだけ。こんな良い馬を持っているあなたはすごくラッキーよ」と言われました。
彼女のお母さんは競馬のジョッキーだったそうです。でもブランデンが7歳の時に亡くなったそうです。実はブランデンは以前からラスティーの牧場の反対側にいるので、いつも見かけていました。でも、私は彼女の能力を今日まで全く知りませんでした。サニーの能力も全く分かっていませんでした。
問題があるといつも回答は外にあるのではないかと、目が外に行ってしまいます。でもサニーのこと、ブランデンに出合ったことで思い出した言葉があります。「灯台下暗し」。答えは何も遠くに出かけて行かなくても、全て自分の側に揃っているのですね。
ポチっと一回よろしくです

よかったですね。
このような話を読ませてくれて、ありがとうございます。
涙してしまいました。
投稿情報: ちさ | 2010/06/20 15:01
ちさ さん
いえいえ、読んでくれて、感じてくれてうれしいです。
こちらこそ、ありがとうございます。
投稿情報: マミ~ | 2010/06/21 00:24