私が住むテキサスからマークのいるネブラスカまでは、テキサスを縦断し、オクラホマを縦断し、そしてカンザスを縦断して行きます。行きも帰りも、車でぶっ続けに7,8時間走って片道丸2日。そんなに遠くまで体力と気力を使って行くほど、マーク・ライアンから学ぶことがあるのかどうか?でもそんなものは、まあ、行ってみなきゃ分からんでしょうということで、とりあえず行ってまいりました。
数ヶ月前にテキサスでマークのクリニックに参加した時に、もしネブラスカに馬修行に行ったとしたら、自分の馬を連れていかなくても乗れる馬はあるのか?とマークに聞くと、「ああ、大丈夫だよ。乗れる馬ならたくさんいるよ」ということでした。
で・・・・一日目。マークのところに行くと、彼はハーイと一言だけ言って、ホルターをさっと私たち(息子と私)に渡して、何も言わず無言で彼の後について行くよう、ボディーランゲージで私たちに指示しました。「ドライブ大変だったでしょう?」なんていう普通の挨拶は全くなしで、かなりぶっきらぼうです。それでもイヤなモードが漂っている無言なのではなく、人間の上辺を飾っているだけの、ちゃらちゃらと必要のない言葉を省いているだけのように見えました。なのでこちらも、喋らない方がいいと感じて、ほとんど何も言わず無言で馬たちのところに行きました。息子も黙っています。
外に行くと確かに馬たちがたくさんいました。聞くと彼はそれらの馬たちを調教するために、人から預かっているようでした。つまり、「乗れる馬ならたくさんいるから大丈夫」という、彼の言っていた馬たちというのは、マークの自馬以外、全て調教されていない、もしくは調教している途中の馬たちということです。なので私と息子はマークからいきなり1頭ずつ馬をあてがわれましたが、何歳?と聞くと両方とも2歳か3歳の若い馬たちで、訓致、もしくはブローク、または人間に乗られるようになってから1、2週間。たったそれだけ。そして、それに乗れという・・・。ああ、、、現実はこういうことだったのか。
私はちと心配になりながらも、アリーナであてがわれた若い馬に乗り始めました。息子も黙って今置かれた環境に適応しています。そう、二人して何の指示もされないまま、いきなり若くて調教されていない馬に、なぜか乗っている・・・。こうなったらマークのジャッジメントを完全に信頼しきるしかありません。私たちは10分くらい馬に乗って歩いたりしていると、マークが「じゃ、これから外に行くよ」と言います。「え?何?今?このまま?」と聞くと、だからどうした?みたいな顔をして、とにかくついて来るように指示されました。つまり、1日目の午前中のトレーニングとは、アリーナでお上品に乗馬を教えてもらうものではなかったのです。障害のあるトレイルで若い馬を乗りこなすというのが、一日目のトレーニングだったのでした。
アメリカの上の方に位置するネブラスカは、テキサスと比べて格段涼しく、冬は雪がかなり積もるそうです。でも、5,6月はとてもいい気候で、草も木も青々と生い茂っていました。トレイルはガンガン草が生えている草むらよ、草むら。長く生えた草が馬体の横につけれらた自分の足の膝下くらいまであります。だからトレイルと言っても、トレイルという言葉が本来意味する”踏み鳴らされた道”では全然なくて、道どこ?どこ歩いたらいいの?穴があったらどうするの?ええっ!溝とか草の下に隠れてあるぞ・・ という、タランタランと年寄りの調教された馬に乗って、楽しくおしゃべりしながらトレイル・ライドするのとは雲泥の差の、ほとんど”怪我せず帰れたらめっけもん”のトレイル・ライドでありました。
しかもそこは馬たちを調教するためのトレイルなので、そこここに障害が作られています。木の上からビニールのカーテンのような物が垂れ下がっている障害とか、発泡スチロールの筒が左右から何本も出ている所とか、1メートルくらいしか幅のない橋などの障害を、フガフガしている若い馬をコントロールして、通り抜けて行きます。マークと彼の弟子の女の子と私と息子。誰も喋っていません。時々マークの鼻歌が聞こえるだけ。
ビニールカーテンのような所を潜り抜けると、私の乗ってた馬が怯えて、森の中に不自然に作られたビニールカーテンの先に広がった、緑のビロードのような芝生が広がる丘に向かって走り出しました。この時マークが、「コントロールしろーっ!」と後ろから叫んでいます。私は馬が走ったすぐ後に止めることはできたのですが、カーテンを潜り抜けて走り出す前に、その気配を感じた時点でコントロールしろとういことだったのです。
このように馬に好きなことをされてしまうというマインドは、どうも私の弱点だったようで、パターン化しているほど、身に染み付いているようでした。トレイル・ライドから戻って、マークの自馬でアリーナで特訓させられた時にも、(ちょっとくらいの馬の失敗は見逃してもいいかも)というマインドによって、マークの馬を全然扱うことがでず、私はその日一日マークにガンガン説教されることになりました。
(続く)

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