今日はブレナンが彼女の馬たちを連れてきて、うちでトレーニングしました。私はミスティーという、ブレナンのちょっと変わった子のグランドトレーニングをし、ブレナンはサニーの乗馬トレーニングをしました。変わっている子というのはどういうことかと言うと、1年ほど前にブレナンがその子を引き取る前、骨と皮だけになるほどニグレクトされていたため、人のことを一切信頼できない馬なんです。
私はしばらく、ミスティーとブラブラ散歩をしながら、”ながらグランド・トレーニング”をしました。ラウンドペンでトレーニングするよりも、普通に散歩しながらトレーニングすると、馬は”トレーニング”というのではなく、なんていうのか・・・リーダーの牝馬(私)について歩いて、草を食べたりしているというシチュエーションになって、何気に騙し騙しトレーニングすることができるので、私は気にいっています。
が、この子はそれをやっても、私のことを信頼してくれるのはほんの一瞬だけで、次の瞬間にはマインドがあっちこっちに行ってしまう性格みたいでした。しかも、ちょっと意地悪な性格。結構難しい馬だなあと思いつつも、こんな風になってしまったのは、きっと人間のせいに違いないと思ったら、この子には罪はなく、ただかわいそうなだけです。
それで今日、私自身の乗馬のレッスンもついでにすることになったのですが、ブレナンがミスティーをレッスンに使うと言いました。でも(な~~んだか嫌な予感)だと思って、ちょっと気持ちがモヤってしてるから、まずはブレナンがミスティーに乗ってみてと私は言いました。
ブレナンはまず丸柵の中で歩いていたのですが、2周くらいした後、トロットに行かせようとした途端、ミスティーがものすごい勢いで飛び跳ねだしました。マーク・ライオンのところで見た、飛び跳ねていたどの馬よりも、もっと激しくそして長い時間、ミスティーは飛び跳ねていました。私はブレナンに「落ちないでよー、摑まっててー」と声をかけるくらいしかできませんでしたが、見ている方が慌てていたら、暴れ馬に乗っている本人はもっと怖いはずなので、スポーツ観戦の応援でもしているような感じで、普通に明るく声をかけていました。
ブレナンは慣れているのか、幸い暴れ馬のミスティーから落ちませんでしたが、もし私が乗ってたら大怪我していたと思います。でもホントに嫌な感じがしてたんですよねえ。ブレナンがミスティーをただ歩かせている時、ミスティーは普通に下を向いていて一見リラックスしていた姿勢で、特に耳を後ろに下げてた訳ではなかったのですが、何か意地悪な目つきになっているなあって、そんな風に見えていました。しかし、馬でも意地悪な子がいるんですね。でも、それはやっぱりどう育ってきたかに大きな原因があると思います。馬のせいじゃない。とは言え、もともとちょい意地悪な子はいるみたいですが。
さて、マーク・ライアンのところで乗った暴れ馬ですが、私はミスティーに感じた捻くれた意地悪さは、この子には全く感じませんでした。ただ、怖いだけ。知らないだけ。それで怖いことを強いられた時に、行き場がなくて飛び跳ねたり、前足を上げて立ったりしていたように見えました。なのでミスティーの時に感じたような、この子には絶対に今乗らない方がいいという、妙な気持ちはありませんでした。と言っても、かなり怖かったことは確かでした。
トレイルに出るとすぐ、私がもし、この子が怖いという思いを克服させる前に、プッシュプッシュ、やれやれと圧力を与えたら、(飛び跳ねるぞおー)というモードになっていました。他の人たちは結構前に進んでしまっていましたので、プッシュしないで前に進まずにいたら、前に行ってしまった人たちから、随分離れてしまうというシチュエーションでした。私はここで腹をくくりました。
他の人たちや馬に合わせるのではなく、この子をじっくりと見てあげようと思ったのです。というか、そうしなければ私自身も非常に危ない状況に陥ると思いました。なので、他の人たちと歩調を合わせることができないで、一人だけ馬と一緒に遅れてしまうのはもちろん不安もありましたが、でも周りのことに気を取られてしまい、この子が何を必要としているのか見えなくなってしまったら、もっと危ないことになると思ったのです。
そこで、この子が不安に感じたと思ったら、私は無理にプッシュせずに、この子の意思で前に進むまで待ちました。私がしたのは、後ろに下がったらまた前を向かせただけでした。後ろに下がる→前を向かせる→待つ、後ろに下がる→前を向かせる→待つ、それを何回も何回も焦らず、気長に繰り返しました。そして、後ろに下がらずに、一歩でも前に進んだら、そこですかさず褒めてそれ以上プッシュしない。あ、いや、一歩も前に出なくても、気持ちが(前に出ようかなあ)っていう気になっただけで、褒めました。そしてそれを繰り返しました。これったら、子育てテクと全く同じだと思います。今日は子育てについては言及しませんが・・
このように全く同じ繰り返しを続け、トレイルに設置されている障害の、ピラピラと木に取り付けられた、洗車に使われているようなカーテンを通り抜けたり、発泡スチロールの何本も突き出たパイプの間を通ったりと、この子にとってはかなり怖い障害物をものすごく時間がかかりましたが、全部クリアーすることができました。
例えば、サイドパスをしてフェンスと馬の体を平行に並べるなど、アリーナで練習していなかったし、しかも訓致されてからすぐの馬なので、そんなトレーニングは施されていない馬でしたが、なんとかできました。多分、アリーナで本番ではなく練習の状態だと、気合の入り方が違うのでしょうね。でも自然の中で、これをしなきゃ生きていかれないとか、これをクリアーしなきゃ死んじゃう、なんていう状態に置かれたら、もう必死で頭をフル回転させてなんとかできるようになるものみたいです。私は馬をやっていて、このようなサバイバル感がたまらなく面白いと思っています。ものすごくフォーカスすることができて、なんだかとってもスカっとするんですよね。
マークは途中から、馬にするのと同じように私のことをとても忍耐強く待っててくれました。励ましてくれて、できたら褒めてくれました。でも私が(ダメだ、できない)と思った時には、「できるぞー、諦めるなー」と叱咤してくれました。言葉に出さなくても、馬と私のボディー・ランゲージで何を感じているのか、彼は読めているようでした。馬に対する接し方では、彼のやり方には賛成できない部分もありましたが、マークは本当に信頼のできるトレーナーであり、一人の人間としても、安心して付き合えるウソ偽りのない、真っ直ぐな人です。ネブラスカはテキサスからは遠かったですが、マークの所に行って、私は色々な体験をさせてもらい、そして多くのことを学ばせてもらいました。
最終日、暴れ馬に乗ってトレイルライドに行きましたが、怪我もなく無事帰って来ることができました。何よりも、これで学べたのは馬ができるまで待ってあげるということでした。そして無理強いせずに、馬の意思で動こうと思った時に、すかさず褒めてあげる。すごく単純なことでしたが、ただそれを気長に根気よく続ける。焦ったり怒ったりせずに、馬に共感して、馬の気持ちを感じてあげる。すると、自分本位で馬に接している時には得られない、一緒に成功しているという満足感を得ることができました。
この気持ちを忘れないようにいようと思います。
ポチっと一回よろしくです

今の私の育児状況とかさなります。
まだまだ私には、受け入れることは修行段階ですが、
昨日、TVで禅僧・藤田一照 氏の話を聞いて禅と、受け止めることの
意味。自分が何故 相手の言葉や行動で苛立っているか。悩んでいた
ことが見えてきました。
こうしてしまった、そもそもは私に原因があったのですが、
マミ~のように、道を正しつつ待ってあげたいです。
投稿情報: まよけちゃ | 2010/07/13 09:38
まよけちゃさん
禅とか修業とかって、以前は無縁だったのに
そんな風に物事を見るようになったのですね。
面白いね。
宗教の型にはまる必要はないと思いますが
子育ては自分自身の内側を見つめることだということを
毎日の生活で実感されている証拠ですね、きっと。
投稿情報: マミ~ | 2010/07/14 04:32