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(なんで馬をやってるんだろう?)という自分の心の中の問いに対し、これまで明確に分かっていなかったのですが、今年の夏、やっとバラバラだったパズルのピースがつながり、(そうか、これをやるためだったのか)と、くっきりと認識でき再確認できたことがありました。
今年の夏、私の住むテキサスにお母さん6人と、子どもたち11人が来てくれました。私は大人担当で馬セミナーを行い、息子と友人のトリシャが子どもたちの馬をやってくれました。その期間の出来事は、追々順をおって書いていきたいと思いますが、この期間、みんなと一緒に朝から晩まで馬と関わることが、体力的にはおばさんの限界を超えていて、体こそ疲れてはいましたが、本当に心から楽しく、毎朝、ウキウキした気持ちで、爽やかに目が覚めていました。
馬の扱いや馬に乗ることを人に教えるのって、こんなにも楽しいことだったとは!
セミナーが終了し、日本から来たみんなは、虫と動物と人間が共存している、砂埃の舞うラスティーの牧場を立ち、アメリカン・ドリームを象徴するような、リゾートに滞在先を移しました。と言っても友人が経営しているところなので、平日ということで料金を下げてくれて、プール付きのリゾートが丸々貸しきりでありながら、料金は至って普通にホテルに泊まるくらいで抑えることができました。
テキサスのモダン建築を代表する建物の一つであるこのリゾートは、そのユニークなデザインは雑誌や本などに取り上げられている程、おしゃれな建物です。外にはプールがあり、建物とプールの周りには、青く茂った芝生に、葉が豊かに生い茂る大きな樹たちが木陰を作っています。そこ全てが貸切です。みんなが来る前に、私たち家族は先にリゾートに着き、その日の晩のパーティーの食事の用意を始めました。うちの息子がシェフです。にわかシェフですが、オンラインのビデオで有名なシェフの料理の作り方を覚え、プロのシェフと全く同じレシピで作れば、素人でもそうそう失敗しないはず。
主に息子が料理全般を仕切っているところ、お母さんと子どもたちは、サンマルコスの世界最大と言われるアウトレットから、まだこちらに着いていませんでしたが、ラスティーたちがまずはやってきました。ラスティーと彼の奥さんのロレインが着くと、私はラスティーから早速「約2週間、ゆきこにホースマンシップを教えて欲しいっていう要請があるよ」と言われました。ところが、それがなぜかうれしいとは思えなかった自分がいました。ホースマンシップを習いたいという人たちに教えるチャンスがあるのに、しかも、教えることが毎日楽しかったはずなのに、なんで重荷に感じるのだろう?
その後、サンマルコスからみんなが着き、新しい場所に着いて喜んでいる子どもたち、そしてどの部屋にどの家族が泊まるかなどを決めるのに、バタバタしていたこともあり、ラスティーには明日その件について返事すると伝え、その日は純粋に、みんなとのパーティーを楽しみました。ちなみに料理は大成功し、インド料理という子どもたちに馴染みが無い料理でありながら、大人にも子どもにも喜んでもらえたようでした。
さて、ホースマンシップを人に教えることについて、(いいチャンス。是非やりたい)と思えなかったことは、ラスティーよりも誰よりも私自身がビックリしたことでした。そして次の日私は(馬はやりたかったことではないのか?どうしてそれをチャンスだと思わないのか?)と自問自答してみました。面白いもので、心の底を深く探ると自分自身でも気付いていなかった、生の気持ちがあるのですね。もしかしたら、常に自分の心を深く見つめていないと、意外と自分自身をも騙して、本当の正直な気持ちは雑多な考えに覆われ、見えなくなっていることも往々にしてあるのでしょう。
私はこの時なんでだろう、なんでだろうと考えることで、自分の中にハッキリと見えてきたことがありました。それは、馬に初めてまたがった時に直感で思ったことでした。“馬を通じて人に心の在り方やエネルギーの使い方を伝えたい”。それが馬を始めた時の動機であり、本当のところ、私は馬ではなく人間に興味を持っていたのでした。人の成長のために、馬たちは良き先生となってくれる。人間の心の姿を鏡となって見せてくれる、馬たちと共に人間教育をやっていきたい。それが私が馬にはまった究極の動機であり、故に乗馬が上手くなりたいとか、自分が乗るために向上したいという欲は希薄だったのです。
乗馬を教えたり、楽しく馬に乗れることを人に教えることに興味がなかったのだ、ということを改めて認識し、ラスティーにはその仕事を引き受けることはお断りしました。では、お母さんたちと馬セミナーをやって、なぜ楽しかったのか?それは彼女たちに乗馬やホースマンシップを教えていたのではなかったからです。私がやっていたのは、乗馬やホースマンシップを通じて、彼女たちに心の在り方やエネルギーの使い方、自分自身の見つめ方に気付いてもらうお手伝いをしていたのでした。そのワークをするために、馬たちは最高の師だったのです。
しかし、乗馬や馬を上手に扱うことに興味はないと言えども、実際のところは、心の在り方と馬の扱い方は背中合わせだと考えています。つまり、心の在り方が鍛錬されてくれば、自然と馬も上手に扱うことができるようになる、ということではないかと思うのです。反面、どんなに手足を上手く使うためのテクニックを学んでも、心の在り方を鍛錬していかなければ、馬と一体になるコミュニケーションは、いつまでたっても難しいかもしれません。
私は、お母さんたちを対象に馬セミナーをすることに、非常に大きな充実感と意義を感じたのですが、それについても考えてみました。なぜお母さんたちなのか?(いや、お母さんじゃなくてもいいのですが・・・)それは、馬に何かを学ばせてもらう人が、精神的に向上することによって、子どもたちへの育成という、次につながっていく連鎖となるからです。お母さんではなく例えば独身の方だとしても、その人が学んだことを次に伝えていくという、連鎖を作り出してくれる人であれば、きっと同じように私は意義を感じられると思います。例えば、このホースマンシップを学ぶことで、日本に幸せな馬を増やしていきたいとか。しかし、もし連鎖とならない逆のケースとして、よくある自己啓発のように、“私が成功したい”、“私がいい生活をしたい”、そのために“馬に心の在り方を教わって向上したい”なんていうお方には、どうぞ一人で勝手に生きてください、さようならって思ってしまうのでした。
お母さんたちが子どもたちのためにより良くなりたいと心から願う気持ちは、もうこれは国とか文化とかで隔たりのないユニバーサルなWILL(願望)であり、またいつの時代であっても、人類不変の自然な欲求ではないかと、私は考えています。そのWILLを持つお母さんたちが、馬から学べる人となるための最低条件である、「馬から学ばせてもらう」という謙虚な気持ちがあれば、必ず大きな学びがあると思っています。しかし、馬は自分を楽しませてくれる道具くらいに思っている人だとしたら、きっとどんなに乗馬が上達しても、学びの域には限界があることでしょう。
尚、これは男性にでも、子どものいない方にでも同じことが言えると思います。
(続く・・)
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