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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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マハティを買うことにしました。ずっと自分の手元に置いておくかは分かりませんが、私が買って調教して人を乗せられる馬になった後、いい飼い主さんとなってくれる方を探す時に、マハティの行き先まで面倒見てあげることができるからです。それとも、ずっと家にいることになるかもしれないし・・・どちらにしても、できる限りのことはします。そもそも縁があったのだと思います。
家に連れてくる前、ラスティーの牧場では、彼女は15メートル四方くらいの柵の中で、干草だけを与えられていました。虐待されているワケではありませんでしたが、最小限の食べ物だけです。ラスティーにはこの子の面倒を見る義理はないのです。マハティの持ち主は彼ではありません。でも彼女は肋骨が見えているくらいには痩せていました。そして、人間に扱われたことがないため、人が柵の中に入ると、怖がって興奮して走り回っていたので、この名前もなかった馬(マハティ)には近づくこともできませんでした。
誰も貰い手のない若い馬がいるということを、ラスティーの所でハンバーガーを食べてた時に聞いて、興味半分に一緒にいたダスティ(15歳の男の子)に、「見に行ってみようか?」と言ったのが運のつき。しかし、マハティを見た私は(まあ、人の馬だしねえ・・。見なかったことにしておこう)と肩をすぼめるしかありませんでした。だけど後になって、なんていいますか・・サニーの時と同じように、気になってしょうがない。
気になってしょうがないので、買う人が現れるまで一時的に、家で面倒見てあげてもいいと、次の日だったか数日後だったか、ラスティーにオファーをしました。かくして、見なかったことにはできなかったのでした。今なら分かりますが、馬一頭を自分の家に連れてきて、数日一緒に過ごしてしまったらもう手遅れです。情が生まれてしまいます。プロのトレーナーなどはよくそれを生業としてやっていけるなあ、と変な事で関心します。
私の友人で世界的に有名ながんセンターのお医者さんがいますが、彼の奥さんが言うには、ご主人のような仕事はある意味、鈍感にならないとやっていけないと。まあ、本当に鈍感なのではなくて、分かっていて敢えて鈍感にならないと、自分自身がサバイバルできないということなのだと思います。トレーナーの仕事もそうなのかな。私はプロにはなれないな。
さて、マハティが家に来て、そしてサニーが家に帰って来た後のことです。サニーは当然、帰って来て早々、俺様がボス。彼はどこに行っても俺様がボス。(笑)ゼファラスもルナもそのことは心得ています。マハティも生意気風を吹かせることもなく、サニーさま、どうぞ私も仲間に入れて・・と、彼らの仲間に入って行きたかったのですが、サニーが(お前がいい子かどうか、オレにはまだ分からないからね。まっ、も少し様子を見させてもらうよ。それまでお前は仲間じゃないからあっちに行ってろ)という感じで、マハティをのけ者にしていました。
サニーに付かず離れず、距離をおいていたマハティは、幸い蹴られたり怪我と言えるほどの噛み跡もなく、体は無事でいました。サニーと一緒にさせた頃のゼファラスの方が、当時よっぽど怪我をしていました。ゼファラスをルナとサニーと一緒にした時、(遊んで遊んで~~)とうれしくなっちゃって、彼らにまとわりついていたのです。なのでサニーに何回もバッコンバッコン蹴られていました。ルナにも噛み付かれていたし。
サニーに受け入れられずに数日が過ぎたある日、マハティがやけに食べ物にこだわって、干草の側から一向に離れようとしません。他の馬たちが別な所に行っても、マハティはまるで自分の殻に閉じこもった感じで、引きこもり馬になって干草をむしゃむしゃ食べ続けています。私がボディー・ランゲージで呼んでも来ない。(食べ物ばかりに執着する意固地な性格なのかなあ・・)なんていう印象をチラッと思ったその時、マハティが私に話しかけやがるんです。
「私にはここには家族がいないの。だから、不安なの。不安だから食べてるの。他には何にも頼れないの」って。もちろん言葉として話かけではないのですが、そういう気持ちがまるで話かけられているように、鮮明に伝わってきたということです。
そんな風に干草にしがみついているマハティを見て、私の中でかわいそうな気持ちがこみ上げてきました。そして一瞬でも(食べ物だけに執着している人間や馬に興味のない子)と思った気持ちを(ごめんね、ごめんね)と撤回して、彼女の側にただ立って、涙目になってうんうんうなずいていました。(そっかあ、そうだよねえ、寂しいよねえ。でもサニーにはそのうち受け入れてもらえるから大丈夫だよ。私からもサニーに言っておくね。人間の私じゃ替わりにならないかもしれないけど、それまで私が仲間になっててあげるよ)と。
マハティはただ干草を食べているだけで、私はその横にただ立っているだけでしたが、このように気持ちに変化が起こり、馬に対する見方が変わるだけで、なんというか、自分と馬を取り巻くバブルの中で、気持ちのやり取りというコミュニケーションが変化する感じがします。馬を変えるのは、自分の見方を変えればいいんだ。その気持ち一つで馬に対する態度も変わってくるんだ。そんな風に思うのです。
もし私がマハティのことを意固地な馬だと決め付けたままだったら、調教する時にちょっとでも言うことが伝わらなければ、(この子はまだ理解していないから、伝わるように教えてあげなくちゃ)と思う代わりに、(コイツは頑固で意固地だから、鞭で叩いて教えてやらんといかん)と思ってしまうかもしれません。
まあ、どちらにしても思いすごしかもしれませんが・・・そんな妄想劇が私の頭の中で繰り広げられている中、私たちを傍から見ていた人がいたとしたら、ただ単に干草を食べている馬の側に、人が立っているだけにしか見えなかったでしょう。私には気をつけてください。頭の中で何を考えているか分かりません。(笑)
それで今は、マハティはサニーに完全に受け入れられています。時々、サニーとマハティは一緒の馬房(開けっ放し)に入っているくらいです。ゼファラスはいつもお茶目で、マハティともサニーともルナとも、誰とでも自分の食べ物をシェアするし、マハティがサニーに受け入れてもらえなかった時は、ゼファラス君はマハティと一緒にいてあげることが多かったので、ゼファラスが仲介役をしてくれたのかもしれません。平和主義者(?)のピースメーカーでおちゃらけているので、癒されたいと聞くと(あなたは病気ですか?)って思ってしまう私でも、彼にはつい癒されてしまいます。
馬が他の馬たちの群に入るよりも、馬が人間を信頼して、自分の群のリーダーと思う方が、自然に考えたら時間がかかるのではないかと思います。逆にもし、マハティが他の馬たちと一緒にいたがるよりも、私と一緒にいる方が好きで、他の馬たちと混じりえない子だったら、私は心配になってしまいます。それはまるで、公園でお母さんの側から離れられなくて、他の子と一緒に遊ぶことができない子を心配するような感じです。
ちょっと話がずれますが、ラスティーの牧場のロバは他のロバたちと一緒にした時に、馬たちに向かって鳴き続け、他のロバたちとは全く仲良くならなかったそうです。しょうがないので、馬たちとまた一緒に放牧するようにしたらしく、ラスティーの奥さんのロレインは、ピーナッツ(ロバ)は自分のことを馬だと思っていると昨日言っていました。このロバ馬は、馬たちが人を乗せる仕事をしている間、自分だけいつも取り残されているので、なんとなく悲しそうにしています。
しかし、まあ、とにかく、動物も人間と同じダスよ、ホントに。でもこれは、動物を人間のように扱うっていう意味じゃないです。ただ、こうは思います。彼らとコミュニケーションをする時には、自分たちの言葉を押し付けるのではなく、彼らの言葉を理解して、彼らの言葉で躾をしたり教えたりすればスムーズではないかと。
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