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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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インディアンの酋長から貰った、素晴らしいパイプの贈り物があるとする。
あなたなら、そのギフトをどうするか?
インディアンたちの習慣では、ギフトは回す物らしい。
自分の手元にずっと置いておいたり売ったりして、自分だけの所有物として扱うのではなく
ギフトとは自分のところを素通りして、また別の人に与えるためのものらしい。
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70歳のホースマン①
ニューイヤーズ・イブ、つまり大晦日だけど、テキサスでは紅白も観れないし、やっぱり大晦日と呼ぶのはしっくりこないので、ニューイヤーズ・イブと敢えて言う。今年はニューイヤズ・イブをラスティーの牧場で過ごすことにした我が家。ただ今、トレーニングのためにうちの馬たち4頭をラスティーの所に連れていっているので、みんなが集まってくる時間より前に私だけ牧場に先に行くことにした。
馬たちに会いに行くと、フェンスを境にして隣にいる馬たちで、1頭はムスタングのエクリプスともう1頭のブリティッシュの調教をたくさん受けたことがある、体の大きいペイント・ホースのモデロのオーナーのルシンダがいた。そして、モデロの周りに数人のカウボーイたちがいた。どうしたのかと行ってみると、モデロの後ろ足に釘か何かが刺さったようで、蹄から血が出ていた。
「ユキコ、アレハンドロを紹介するわ。彼は南西部のテキサスに住むホースマンよ。私のいとこの家に遊びに来ているんだけど、モデロに問題があったからアレハンドロに見てもらっているの。」とルシンダは口早にアレハンドロに紹介してくれた。私は軽く挨拶だけして、彼らの邪魔にならないように離れて見ていた。アレハンドロはモデロの蹄に刺さった釘のようなものを引っこ抜いたらしく、ラスティーの奥さんが何かの時のために、いつも冷蔵後に入れている馬用のペニシリンと痛み止めが入った注射を持ってきたので、これからモデロに注射をするところだった。後から聞いたら、アレハンドロはリタイアする前は、馬の調教をするだけでなく、牡馬の去勢の手術を仕事としていたらしい。なので馬を落ち着かせて、注射をするくらいお手のもの。私がいても邪魔になるだけなので、私は車から馬用のおやつをいくつか持って行き、モデロの顔の前に立って馬を押さえているルシンダの手に、おやつをギュっと入れて自分の馬たちの所に行った。
1年以上前、ルナが怪我をした時に、周りに人が心配して寄ってきたのだけど、一番慌てていいはずの怪我をした馬のオーナーの私が、慌てられない状態になってしまった経験がある。なぜなら、外野がうるさかったから。今日は飲んで酔っ払うぞと思っていたのに、一緒にいる人たちみんなに先をこされて酔っ払われてしまって、自分は酔えなくなってしまったような、そんな感じだった。怪我をしたルナが一番怖がっているはずで、彼女を落ち着かせるために呼吸とマインドを調節して、自分の動揺を一生懸命抑えようとしている私の周りに、慌てているだけで何の役に立たない、まあ、言ってみれば野次馬のような人たちが集まっているのだ。本当に心配してくれていたのなら、あっちに行ってくれと言ったら失礼なので、仕方ないから自分とルナだけのゾーンに入って、彼女たちの存在はそこに在るのだけでど、いないものと敢えて想像して、平常心平常心と思って無視していた。そのような経験があったので、いらん手伝いやいらん言葉をかけるより、自分の馬の足から血が出ているという、センセーショナルな視覚イメージを見て、ハラハラ・ドキドキしているはずのルシンダの邪魔をしない方が得策だと思い、私はその場を離れて自分の馬たちの方に行っていた。
サニーとマハティに乗るために鞍を着ける準備をしていると、アレハンドロがモデロの手当てを終えたみたいで、スっと私の横に現れていた。聞くと、もう70歳のおじいちゃんらしい。子どもたちは私と同じくらいの年齢。彼はサニーとマハティを初めて見たので、私の馬たちがおとなしく従順であるかどうか分からないはずなのに、全く気にせずマハティの後ろ足の後方に立って、マハティに寄りかかっている。そして何気にサニーやマハティに触ったりしていた。アレハンドロは背が高く、背中もピシっとしていて、50歳台後半の人にしか見えないほど若々しい。ただマハティのお尻にポンと置かれた、グローブのように大きくてゴツゴツした手と、彼の目の横にある深く刻まれた優しそうな皺だけが、70歳という年齢を語っていた。
アレハンドロは「この馬は何歳?」とマハティのことを聞いてきた。
私は馬たちの準備をしている手を止めずに「3歳」と答えた。
「もうブローク?(人が乗れるという意味)」
「うちに来てから3ヶ月なんだけど、うん、今は乗れるようになりました。」
「誰がブロークしたの?」
「ああ、この子はすごく大人しくていい子だったから、自分でやった」と言うと
彼はちょっとビックリしたような顔をして「感覚がいいいんだな、キミが」と褒めてくれた。
ただ感覚がいいと褒められるほど、マハティをブロークすることは大変なことではなかった。お褒めに値するというよりも、手柄にならないことを評価されて褒められたような感じで、なんだかちょっと気恥ずかしい気分。しかし逆に思うのだけど、馬をブロークするのって、そんなに難しいことなのだろうか?ゼファラスに初めて乗った時も、マハティの上に初めて乗った時も、彼らはとても大人しかったので、私の中では馬をブロークするということは、決してセンセーショナルなことではない。ただし、もし人の馬を1週間でブロークしてくれと言われたら、それは恐ろしいとは思う。ゼファラスとマハティの場合は、私が初めて上に乗る前に、毎日ちょこちょこと彼らに少しずつ少しずつ教えていったから、彼らには私に上に乗られたからといって、恐怖を感じなかったのだと思う。例えば、彼らが餌を食べている時に、靴を脱いで馬房の仕切りの上によじ登り、下を向いてご飯を食べている馬の背中の上に、自分の足の裏を乗せたり、そういう小さいことを毎日少しずつしていただけ。なぜそんな風にしていたかと言うと・・・馬にとって、人が上に乗るという体験を全身の毛穴がギュっと閉まり、体が硬直してアドレナリンが多量に分泌され、危険信号が体全体から発せられるような、(そんな恐ろしい体験にしたらかわいそうじゃん?)・・・それだけ。
多分、とてもシンプルな気持ちの違いなだけだと思う。(自分がそんなことされたら嫌だろうな)と相手の立場に立って考える気持ちがあるか、それとも(自分のために馬をこうやって扱うのだ)という、馬が先ではなくて自分が先の気持ちかどうかで、馬との関係が全て変わってくるのではないだろうか。そしてテクニックなどは人から学ぶことはできたとしても、この元となる“他”を中心とする心があるか、それと“我”がいつも中心の心であるか、そういう心の在り方を人はどうやって学ぶのだろう?
馬装をしている時にアレハンドロと軽くおしゃべりしていたのだけど、私はアレハンドロに見られている感じがしていた。でもそれは決してチェックを受けているような、ジャッジメントされている見られ方ではなくて、暖かく見守っててくれているような感じだった。馬たちをアリーナに連れていく頃に、ルシンダがアレハンドロを呼んだので、じゃあさようなら・・・と思ったら、アレハンドロが去り際に「キミが乗っているところを見たいから、俺が戻るまでアリーナにいなよ。俺のことを待ってなよ。」と言った。
アリーナでサニーに乗っていると、ラスティーとロレインが来てアレハンドロのことを私に教えてくれた。60年以上も馬を扱っている、素晴らしいホースマンらしい。その昔ラスティーの親戚の牧場で働いていたカウボーイだったらしい。私たちが住む所から車で3,4時間かかるメキシコとテキサスの境の小さな町に住んでいて、毎年、バストロップには年末、昔からのカウボーイ友達の所に数日滞在しに来るそう。70歳のおじいちゃんだけど、今でも馬を8頭持っていて、そして今でも馬をブロークさせているらしい。馬をやっている人たちには、昔の怪我で足や腰を悪くして、ビッコを引きながら歩いている人たちもいる。中にはそういう身体的な問題で、年よりも老けて見える人たちもいるけど、多くの馬をやっている年配の方たちは、彼らの年齢では考えられないほど元気だ。
少ししてアレハンドロが戻ってきた。そしてサニーと私のことをじっと見ていた。私はサニーの上に乗ったまま、アレハンドロが立っているフェンスの近くに行き、「サニーが支配的なんだけど、人間にいじめられてきたからどこまでやっていいか分からないの」と言うと、「ああ、そうだな。こいつはそれを知ってるんだよ。ちょっと走らせてごらん。見ててあげるから。とにかく馬ともっと会話してごらん。」とシンプルに押し付けがましくなく言ってくれた。私は彼のシンプルなアドバイスから2つのキーワードに気をつけて、サニーを走らせてみた。(サニーは私が甘やかしていることを知っている)、(私がリーダーだということを馬に体で会話しなければいけない)。走り終わるとアレハンドロの目がワクワクしていた。本当に馬が好きなんだなこの人は。彼はサニーのことをすごくいい馬だ、いい馬だと連発していた。特に言及するような指導をしてくれた訳ではないけど、私はアレハンドロが見てくれているというだけで、なんとなく安心かつ気が引き締まっていた。
サニーから降りてマハティに乗ろうとしていると、ロープしかつけてなくてハミをつけていなかったのを見て、アレハンドロがハミもつけてみなと言う。でも、マハティはハミを着けて乗る調教をほとんどしてなかったので、まだ今日は無理と言うと、「大丈夫だから。ハミを着けてもロープも着けたままにしておけばいい。教えてあげるから。」と言う。60年も馬やっている人が、マハティと私のことを観察していて大丈夫って言うのだから大丈夫なのだろう。私は自分の頭を敢えて白紙にして、素直にこのおじいちゃんの言うことを聞くことにした。アレハンドロはマハティのところに来て、ロープをスルスルと巻いて、ハミを着けた手綱と同じ長さにして、ロープで手綱を作り、ハミがついた手綱とロープの手綱を両方持つように言った。
マハティは私の手元に来る約3ヶ月前までは、彼女は人間に手をかけてもらっていなかった。3ヶ月前は、まずは彼女に近づけるようになるところから調教が始まっている。なので、ハミをつけて乗ってごらんという、馬が普通にすることであっても、心の中に(本当に大丈夫かな?)という気持ちがあったとしても、逆にそのくらい慎重な気持ちがないと、新馬を扱っているのだから危険なこともあるかと思う。なにせ私も彼女の傾向を知らないし、彼女も新しいことをする時に、私が彼女に何をするのか知らないのだから。お互いに怖い。でも、それを一緒に克服することで、お互いにお互いの事をを学び信頼関係ができていくのだろう。
続く・・
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明けましておめでとうございます(^^)
インディアンの酋長の話・・・考えてみました。
元日、初詣に近くの氏神様にでかけました。
隣の子(12歳)も一緒でした。
彼女は、「お金がたくさん入ってー、あんなことこんなこと・・・ってお願いしてきたよ」と言ってました。私も昔は神社のことなど知らずにやってましたが・・。
「私利私欲でお願い事をすると、叶うかもしれないけど悪いことが自分にまわってくるよ」と、一言だけ伝えました。彼女はどう思ったかな?
↑上記に書いたのは、絶対とかではないですが、私が38年生きてきて感じることです。やはり、禍福はあざなえる縄のごとし・・ですよね・・。
やはりギフトはまわしていかなければ、と思います。
単純な思考ですが、金は天下の廻り物とは良くいったもので、自分ひとりが私福をこやそうと思っても決して永遠の幸せは手に入らないのではないでしょうか?
私もまだ、形から入っていっているところです。息子はもっと・・・私から言われてやっとというぐらいですが。
マミ~から情報をもらっているだけではなく、もっと他人とかかわっていかなくてはいけませんね。でも考える機会や発言する場を与えてくれてありがとうございます。
2011年も良い年になりますように。
投稿情報: おーやん | 2011/01/03 15:01
おーやん
ハロ~♪
おーやんはずっとずっと素直にまじめに親身に考えてきている人ですよね。
だから、子育ても順調にいっているのよね、きっと。
おーやんも少しずつ外に出れる準備はできているのかしら?
と言っても、外に出ずともまずは自分から、なんですけど。
ただ、体力が余ってたらシェアすることはできますよね。
投稿情報: マミ~ | 2011/01/14 15:07