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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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ラスティーの牧場には二段ベッドが10個ほどある小屋がある。キッチン、リビングルーム、バス・トイレがついていて日本の家屋と比べたら、広いことは広いのだがおんぼろな小屋である。そこに毎年、日本から来るお母さんたちと子どもたちが共同生活している。“小屋”というのは彼女たちから自然発生した呼び名の建物であり、確かにそれ以外は形容しがたい。
私がラスティーの小屋を訪れる時は、ここはいつもお母さんと子どもたちで賑やかな場所。彼女たちが2週間以上、ご飯を作り子どもたちにシャワーをさせ、みんなで昭和の長屋なみの小社会を作って、人間臭く共同生活している所だ。活気に溢れ、子どもたちの喧騒の中、良いことも悪いことも起こる、カラフルなサバイバル生活。日本からテキサスに来た人たちにとって、この小屋には様々な物語がある。他人と生活を共にするということは、常に自分の鏡となる人たちに囲まれていることになる。そこでは、鏡となった他人から自分の姿を映し出され、楽しくも泥臭い時を過ごす。
同じ小屋なのに・・・同じ物や事象でも状態によって、見る人のその時の気持ちによって、全く別な印象になる。犬3匹と私だけの小屋は、みんなが居たときとは対照的に、すっからかんとして荒涼とした感じだった。ガラリンとした小屋で、私は先ほどまでの緊張から開放され一瞬拍子が抜けていた。犬たちだけがせわしなく小屋の中をナーバスに歩き回っている。しかし緊急に避難させてもらって、犬3匹も滞在OK。しかも馬4頭も受け入れてくれる所など、テキサス広しと言えども、そう滅多にあるものではない。ありがたいことだと心から感謝の思いで満たされると同時に、恵まれ過ぎていることに罪悪感を覚える。
私は犬たちに水をあげ、もちろん小屋にはワイアレスなどないのだけど、ラップトップも車から下ろして、少しの荷物を小屋に置いた後、ゼファラスとマハティを放牧地に放しに行った。その後しばらくしてからアンディーがルナとサニーを連れて到着。馬たちはこれでOK。ただ、ラスティーの所に来ても、火事の臭いが吹く風と共にあたりを漂ってきている。気になってしょうがないので、時々外に出ては空気の臭いを嗅ぐ。
iPhoneでFB(フェースブック)を見ると、火事はどんどん広がっている模様。小屋から外に出ると気のせいではない。確かに四方八方から煙の臭いがする。私はアンディーたちがネットにつながってないことを知っていたので、FBなどで火事の動向を見て、彼らに何かあったら報告することにした。人に力を貸してもらうだけに甘んじていてはいけない。アンディーに直接お礼しなくても、与えてもらったことを他の人に回したいという気持ちになる。
彼らは彼らで、知り合いでトレーラー(馬運車)を持っている人たちをラスティーの牧場に集め、火事場の馬たちを救助できる準備を始めた。大きなトレーラーとトラックが次々に集まってくる。テキサス人は動くのが早い。
私の方はオンラインで警察の無線を聞けるサイトを見つけたので、それを別な州にいた夫に伝え、無線を聞き火事の状況を調べてもらうよう頼む。その間、牧場に来た馬たちに餌と水を与え、火事の様子を見るためもあり、食料やドッグフードなどを買いに行くことにした。道がどこで閉鎖されているのか分からなかったが、町に向かういつもの道は、特に変わった様子はなかった。ただ、かなり近いところまで、雲のように大きく広がった煙がもうもうとしていた。
高速道路では高台になっている所に車を止め、ビデオや写真を撮っている主に若い世代の人たちが何人かいた。YouTubeにでもビデオをアップするのだろうか。リアルな現実に直面している時に、iPhoneにしてもYouTubeにしても、昔なかった新しいデバイスたちの影響力がこうも多大であるとは。実際、私がもしiPhoneを使っていなかったら、こういう状況下では外の情報から遮断されてしまっていたはずだし、現実にはリアルタイムで緊急情報を掴めていない人たちが、大半だったと思う。テレビやラジオからの情報もあるが、ネットからの情報が飛行機だとしたら、それらは普通電車のスピード。ただし、ネットの情報には多種混合、何が正確な情報なのか、何が大げさに騒いでいる情報なのか、なかなか区別しにくい。
そんな中、いくつかの緊急情報センターがFB内でページを立ち上げた。1日もたたずに、そのような緊急対策が行動となって現れてくる。一般人が動くのも早いし、コミュニティーでの助け合いで、“現実に行動する”人たちがなんと多いことか。彼らの動きの早さには圧巻された。
私は町まで車を運転しながら、iPhoneを片手にちょこちょこと情報に目を通す。そして、風向きや火事情報をアンディーに電話で知らせていた。数年前、同じ道路を運転していた時、日本から来ていた人に「こんなに道が長くて、でもガソリンスタンドがそんなにないけど、もしガス欠になったらこの辺の人たちはどうしているんですか?そういう人たちのためのサービスが何かあるのですか?」というようなことを聞かれたのを思い出した。アメリカに20年以上住んでいる私にとっては、正直言って思いもよらない質問だった。(そっかあ、日本だったら、もし困った時にどうするかという対策として、ビジネスなり市町村なりが、手取り足取りなんとかしてくれるものなのかしら?)と思いつつ、「AAAというサービスはあることはあるけど、ガソリンがどのくらい自分の車に入っているかは、自己責任としてみんな自分で考えてやっているんじゃない?」と答えた。
日本には素晴らしいサービスが揃っている。故に、特に都会では、人はボタン一つ押すだけで生きていかれるような生活に慣れてしまったのか?“誰かがなんとかしてくれる”。“自分で解決するのではなくて、誰かがなんとかしてくれる”。だから、“誰かが助けてくれるまで待っている”。小さい頃からそう習慣づいていたら、大人になっても疑問を持たずに、誰かがなんとかしてくれると思うことだろう。自分で考えなくてもいい。依存して生きている。そういう人は、与えてもらう側にずっといて、何かしてくれるのを待っている。それで生きていかれるにこしたことはないが、そのために捨てていることがあると思う。自分でなんとかしなければいけないと立ち上がろうとする『 Will 』だ。『 Will 』とは生きるためのエネルギーだ。
依存すればするほど、生きるエネルギーを吸い取られてしまう。自分でなんとかしようと立ち上がる、ほとばしるエネルギーが必要な時もある。黙って何もしないで、しらっと何もなかったように、問題を他人事のようにやり過ごして生きるよりも、あいつはバカか?と思われても、緊急時には多くの命を救うために、なりふり構わず動くことも必要かもしれない。テキサス人が私にそのことを強く教えてくれた。今回の火事で私はテキサス人たちの、強力な生きる力を見た。彼らは逞しい。多くの人たちがみんなリーダーだ。自分で自分の足で責任を持って立っている自分のリーダー。人がなにかしてくれるまで待つのではなく、彼らは強力な瞬発力をもって行動に移す実行力を持っている。
1966年にテキサス大学で無差別の銃撃事件が起こった。犯人がタワーからランダムに銃を打っていた時、道行く人たちは走って自分の車に戻った。普通、それは車に乗って逃げるという図だろう。ところがテキサス人たちはどうしたか?彼らが車に急いで戻ったのは逃げたのではない。銃撃者と戦うために自分の銃を取りに行ったのだ。こんにゃろ、負けてたまるか、こんなことくらいでは諦めないぞという、Don’t mess with Texans.(テキサス人を舐めるなよ)という言葉がある。今回の火事でそんなテキサス人たちのインディペンデントなスピリットを見た。だが、それはそれで問題があることも後々見えてきた。
続く
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