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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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毎日、馬たちと関わっている中、今でも時々、なんで馬やっているのかなあ?って、思うことがあります。っていうか、理由は分かってやっているのですが、やらなくてもいいんじゃないか、やめてもいいんじゃないかって思うこともあります。
そもそも、はじめは乗馬にはそれほど興味はなくて、上手に馬に乗りたいと思うようになったのは、馬の面倒を見るようになってしばらくしてからです。でも、今は乗馬が上手くなりたいと思っています。それはなぜか?
その動機は人様に伝えたいことがあるからです。うちでは馬4頭を飼っていて、彼らはとても頭が良くて、従順でいい子たちです。馬さんたちとは、まるで人間関係のように深い関係を持つことができます。しかし、人間同士の関係とは大きな違いがあります。それは言葉を使って話しをしないこと。
馬との会話はボディーランゲージと、心から出るエネルギーで行っていると思っています。それができれば、ロープをつけてギュウギュウ引っ張らなくても、彼らはちゃんと理解してついてきてくれます。馬は多くの人が思っている以上に、色々なことを理解できている賢い動物。そして、多くの人が思っている以上、そしてまた、その思っている以上の以上まで(つまり未だに私は彼らの限界を全く知らないということなのですが・・)、“感じる”ことができる動物だと思っています。
私は「馬と心で会話できるんだよ」っていうことを多くの人に体験させてあげたい。馬と尊重しあい、お互いに無条件の愛で付き合える関係が持てると、なんて言いましょうか、人間同士のくだらない言い争いだとか、誰が上で誰が下だとか、そんなことどうでもいいと思えるようになるんです。もしかしたら会話するのは、馬じゃなくて亀でもいいのかもしれませんが、とにかく、馬でも亀でも犬でもイグアナでも、無償の愛でコミュニケートできればいいんですよね。
だとしたら、人間同士でもいいのですが、人間はなにせ言葉を使って、自分自身にもウソをつきやがったりしますので、正直で真摯なコミュニケーションは、動物から教わった方が、直球でいいんじゃないかと思ったりしているのです。だから、まあ、馬じゃなくて亀でもいいんですけど・・・私の場合は馬に縁があったもんで。
で、馬たちには、私たち人間がどんな教育を受けて、どんな情報を持ってて、貯金がいくらあって、どんな洋服を着て、どんな過去があって、そして私たちの名前はなんだ?っていうことさえ、どーでもいいことです。そのようなどーでもいいことを全部脱ぎ捨て、そのままの自分でいられることで、馬たちと調和して存在するという喜びを感じられるようになる。そりゃあもう、丸ごとの姿っていうことですわ。その素晴らしい体験を多くの人たちにも味あわせてあげたい。(余計はお世話か?)
ただ・・・私なんか数年前45歳の時に馬を始めた、技術も経験もないただの小太りのおばさんです。数日前、夢の中でアル・パチーノとデートしたり、スティーブ・マーチンとも夢でデートしたことがありますが、夢では年中セレブとデートしてはいるけど、自分自身はセレブでもなんでもないおばさんの場合、ちょっとくらい乗馬で何かできなければ、私の言葉などに耳を貸してくれる人などいないでしょう?だから、乗馬が上手になりたい。と、随分長い話になってしまいましたが、そーいう訳なのでした。
以前は馬に乗ることにはそれほど興味はなくて、馬を飼っていても、別に乗らなくてもよかったんですね。マジで、結構、野原を馬と一緒に散歩するだけでも、かなり楽しい気持ちい体験なんです。もしかしたら、馬にこんなことさせよう、あんなことさせようなんて思わずに、なんの意図もなく、ぷらぷら散歩などする方が、“ザ・乗馬”よりも、もっと気持ちいいかもしれないですよ。
さて、私の究極の興味は、馬から心の在り方を教えてもらうことで、それを人に伝えることです。つまりは、私は馬を愛していますが、それ以上に人間を愛しているのでしょう。人によるけどサ。
なので、馬さんたちには申し訳ないのですが、彼らに力を貸してもらって、「人間を学ばせてくださいよ」って思っているのでした。馬さんたちには、その大儀を果たしていただく代わりに、とても心地よい生活を保障しておりますです。これがまた、アメリカと言えども金がかかるんだ。
例えばルナなどは、ちょっと足を引きずったりしてますが、それ故に彼女の生活は、人間がメイドになって、食事つき、掃除つきのパラダイスです。でも、私はルナに大切なことを教えてもらったので、彼女のことは大事にしてあげなきゃ罰があたります。と言っても、食糧難になって、何も食べるものがなくなって、生きるか死ぬかになった時には、ルナを食べちゃうかもしれませんが。ぎょーーーっ!?
私は物を書いたりしていますが、例えば子どもの教育について書いても、それはあくまでも方便のようなもので、実は人々の心の成長のお手伝いをすることが、物を書く動機となっています。更に究極を言えば、世界中の人類が全て悟りの境地に達するために、今、自分にできることをしたい?いや、したいかどうかは実は定かではなく、特にしたいと欲しているのではないのですが、まあ、なんとなくぅ?そーいうことをやるために、自分自身をお使いくださいって思っているのです。
と言っても、誰でも存在しているだけで、世界人類の成長のために、役に立ちつつ生きてはいると思います。なので何かをするしないは、それぞれの領域でやっていることがあるのでしょう。それで私の場合は、自分にできることを最大限に活かしたいと、なんだかいつもそう真剣に考えておりまして、それがたまたま馬と繋がったということです。
しかし物を書いても、書き言葉では人の心を動かすことに限界があります。そんなことを思うようになっていた時に、馬に出会いました。馬は人間が言語を駆使してもできないことが、いとも簡単にできる。人間に心の在り方を気付かせてくれることを馬に出会って、直感的にそう感じたのでした。
だけど、それを人に伝えるには、乗馬くらい上手くできるようにならなきゃ、お話にならんでしょう?ということで、ゼファラス君と一緒にプチ障碍レッスンを受けたり、エンデュランスの練習をしたり・・・色々やってみてはいるのですが、ま、あんまり、上手くはならんな。
そんでもって、動機は上記のようなことから馬をはじめたのですが、ミイラ取りがミイラになってしまって、今ではすっかりはまってしまいました。ということで、馬が面白くて仕方がないので、いつもは動機を忘れています。テヘヘ
ただ、馬はお金もかかるし、心配事も増えるし、世話するの大変だし。そんな時にやはり前出で書いた動機がなければ、乗馬を真剣には続けないでしょうし、その動機がなければ、馬たちをみんな売ってしまって、小さい家に住んで楽したいっていう気持ちもあります。やめちまいたいって思うこともあるのですが、でも“動機”を自分の中から消すことができないのです。消したら気楽でいいと思うのですが、消えてくれません。
さて、うちのゼファラスくんはエンデュランスの練習もつけつつ、ジャンプするのって楽しいよ~って教えて、しばらく様子を見て、彼に一番合っていることは何か判断して、やることを選ぼうと思っています。でもなあ、馬との関係の素晴らしさを人に伝える前に、乗馬の達人になるなんて叶うのだろうか?自分自身でも疑問ですが、まあ、いいや、将来の心配などせずに、馬たちみたいに“今ここに”生きよう。
今日は朝からゼファラスのエンデュランスのトレーニングでした。ほんでもって今から、外に行って馬たちのお世話をしてきますだーー。お世話が一番好きかもしれない。
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