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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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願力と馬力(はじめに)
願力と馬力(1)
願力と馬力(4)
ちょっと日記を書くつもりが長くなってしまったので、願力と馬力の続きにすることにしました。
願力と馬力(5)
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障碍の先生のジェリーと今日も喧嘩した。と言っても、アメリカ人との喧嘩って、理解し合えるまで討論するけど、理解し合えた場合、またはお互いが違う意見ということで、違うということを理解し合えた後は、コロっと元の関係に戻って、まるでさっきまで口論してたなどウソのようにケロっと元通りの関係になる。
今回の口論は電話だったのだが、ジェリーにルーミーをレイニングのトレーニングに入れて、自分もレイニングを習おうと思っていると言ったところ、「がんばりなさいよ。」くらいのリアクションだと思っていたたらトンでもない。怒涛の如く猛反対にあったのだ。ジェリー曰く、「自分が教えるブリティッシュの乗り方がマスターできるまで、ウェスタンで乗るな。」ということ。トレイルライドとか遊びで乗るくらいならいいが、ウェスタンの乗馬のトレーニングは受けるなと言うのだ。
私は上から一方的に押し付けられると、とことん反逆したくなるので、「嫌だね。人の自由を侵害するな。」というようなことを言ったら、「お前さんもかなり気が強いが、こっちはもっと強いんだぞ。いいか、言うことを聞け。ウェスタンと混合して俺が教えているプロセスが後退するような乗り方をしているのが見えたら、そこからはもう一切教えないぞ。」ときたので、「脅しで人を言うこと聞かそうというのか?それじゃまるで独裁者だ。独裁者の言うことなぞ聞かんっ。」と言ったら、「俺がやっていることに関しては、このオールドマン(年寄り)は最高独裁者なんだ。キミをいい馬乗りにさせる自信がなければ、こんなことは言わないんだぞ。脳に刻み込まれる習慣が違うから、別なことを一緒にやっちゃいけないって言ってるんだ。」と言った。そー言えば、昔、同じことがあった。デジャブ・・・
小学校低学年の頃から水泳を選手としてやっていたのだけど、実は自分としては体操の方をやりたかったので、体操をやらせて欲しいと言ったら、水泳のコーチがうちの母に、水泳と体操では筋肉の付き方が違うから、2つを一緒にやらせない方がいいと、前もって丸め込んでいたらしく、体操をやらせてもらえなかった。ジェリーと会話しながら、40年くらい前のそんな過去の記憶が、今起こっていることと結びついていた。
しかし、30分くらいあーだこーだと話しした後、彼の最後の「脳に刻み込まれるうんぬん・・・」という言葉で納得し、そこで笑いがこみ上げてきた。ジェリーの本気という執拗さは尋常じゃないと思ったし、私もそうとう頑固だけれど、彼の乗馬に対する信念には到底敵わない。そして言った、「負けました。あなたの言う通りにします。」と。そして精一杯素直になって、私はこう付け加えた。(これ以上ぐじゃぐじゃ同じことを説教するな)という気持ちも込めて、「今回のこの件では言うことを聞く」と言った。
49歳のこの年になって初めて気づいたのだけど、私ったらすっごい負けず嫌いだったんだ。人からはよくそう言われていたけど、自分では何々に勝とうとか、競争意識はなかったと思うので、自分が負けず嫌いだとは知らなかった。競争意識は強くないけど、叩かれるほど(こんにゃろー)という気がムラムラと強くなる。それをプラスなことに使えればいいのかもしれないが、マイナスなことに使ったら危ない。
だけど、この一件で、(くっそ~、こうなったら何が何でも上手くなって、このじじいを見返してやる)と、ま、一瞬はかなり強くそう思った。ちょっとしたら忘れるかもしれないけど、少なくても頭にきていた時はそう思った。でも、もう頭にきていないので、その気持ちはすでに薄くなってきている。気は強くでも持続しないということか。ヌオ~という気持ちを継続的にメラメラさせられ、そしてそれをプラスなことに使える人は、何かを達成しようという時にいいのかもしれない。
さて、ルーミーはレイニングのトレーニングに入れようとは思っている。その際、同時に私もレイニングをやろうと思ったけど、今はやめておくか。ジェリー曰く、イングリッシュとジャンプで基礎が完全にできたら、レイニングでもなんでも簡単にできるようになる、ということらしいから、レイニングは後からやればいいんだ。たぶん。ただ、レイニングじゃなくてもいいのだけど、私はルーミーと何か一緒に目指したい。なぜかそう強く突き上げてくるものがある。
とは言え、実際、自分の体で体験していなければ、いくら馬歴約60年のジェリーから言われても、納得しなかったと思う。だけどイングリッシュの練習をするようになってから、ウェスタンの鞍で乗ると、急に今までと体の使い方が変わっていることに気づき、え?こんなに簡単だった?って思うことが最近何回もあった。昨日もサニーにイングリッシュの鞍で乗って、その後にマハティにウェスタンの鞍で乗ったら、そう思った。馬の育て方はウェスタンの自然なスタイルが好きだけど、確かにイングリッシュで学べる、乗馬のバイオメカニックスは、ウェスタンでは得にくいものがあるかもしれないと、自分でもそう感じていた。
ま、ジェリーとそんな一件があった後、会話は普通に戻って、「じゃあ、また明日ね~」っていうことで、しょうがない、このままあのじーさんの言う通りに、しこしこと練習に励むか。
ところで、昨日夕食を一緒にした友人との会話で、信じられない奇遇なことが2つもあった。ルナを譲ったお家に、彼女も1年ほど前に、馬を譲ったことがあるらしい。その人たちのことを彼女は良く知っていて、彼らはとてもいいファミリーなので、自分の馬を売って知らない人たちの手に渡るのなら、彼らにタダで養子に出そうと考えたらしい。それを聞いて私は、はあ~っとお腹の底からのため息が出て、心から胸をなでおろすことができた。
もう一つの奇遇は、ロニーの手に渡ったルーミーを含む3頭の馬は、実は彼女のご主人が、ある牧場からお金を回収するために、6頭の馬と馬運車を引き取って、そのうちやはりお金が回収できなかったロニーが3頭貰い受けたという経緯らしかった。なので最初、彼女の牧場に6頭が来ていて、3頭はすぐに貰い手があったらしいが、その後ロニーが貰い受ける3頭だけがしばし彼女の牧場にいたらしい。そしてもし1頭だけ自分の手元に残すとしたら、彼女のご主人は、一番小さくてすばしっこい馬にする(ルーミーのこと)と言っていたらしい。
「あの子は動きが速くて走るのが速いから、私たちは言ってたのよ。クオーターホースのレースホースとして調教したらいいんじゃないかって。」と友人は言うが、ルーミーはチビちゃん過ぎやしないか?でもカッティングもしくはレイニングにはいいだろう。ルーミーの種馬を調べたら、レイニングのワールド・チャンピオンだったし。
私たちの話を照らし合わせるのに、iPhoneで撮ったルーミーの写真を彼女に見せると、「この子よ、この子!」と言っていた。私はあまりの奇遇さにビックリしたのと同時に、なぜかワクワクした。友人の声も大きく高くなって、彼女もなぜか興奮していた。この時知ったのだけど、血統書が付いていたのは連れてきた馬たちの中で、ルーミーだけだったらしい。どうりであの子だけ、ちょっと小さくて体型と顔が他の子達と違ったわけだ。私は3頭は兄弟だったと思っていたから、ルーミーだけが小さいのは変だと思っていたのだ。
彼らが兄弟ではなく違う血統だということであれば納得がいく。なぜなら、一番小さかったルーミーが放牧地で、他の馬たちよりも餌にありつけない、立場の弱い馬に違いないと思っていたからだ。しかし、うちに連れてきてから見る限りでは、彼女はぜんぜん弱くないのだ。ともすれば、うちに来た頃からサニーにさえも、キックしようとしたりしてたほど、気が強い子なので、どうして今まで他の子たちよりも、弱くて餌を食べられなかったのだろう?と不思議に思っていたのだ。でも彼らが違う血統だったと分かれば、体型そのものが違うということで納得がいく。
友人曰く、ルーミーだけが人間に触られる距離に近づかなかったということだった。「警戒心が強くて、人間をすごく観察していた馬だったわ。餌を持っていってもあの子だけ、絶対に近づいてこなかったのよ。」と言っていた。
でも、私に対してはルーミーは最初から、自分の方から近づいてきてくれる。蹄をきていにする時も、ロープなどでつないでいなくても、彼女はそのまま立っている。それが普通だと思っていたけど、昨日削蹄師さんに削蹄をお願いしたら、彼はロープでつないでいなくても削蹄をさせてくれるとは、随分と躾がちゃんとできているねと褒めてくれた。うちの子たちはみんなそうなので、それが普通だと思っていたけど、聞くとどうもそうではないらしい。
サニーとルーミーは人差し指を上げると、動いて前に出ようとしても止まってくれるけど、マハティとゼファラスは人差し指では止まらず、手の平を見せないと止まらない。理由はそれだけではないが、マハティとゼファラスは躾がちょっと甘い馬だと思っているのだけど、どうも他人からは彼らでも躾はきちんとできているらしいので、躾係の私としては、削蹄師さんに褒められて、親ばか気分満載になってしまった。
そんな小さなことでもすごく楽しい気分になれる。楽しい気分になるには、なにも大きなことは必要ない。だって高価なダイアモンドを貰った喜びの大きさと、自分の子どもが褒められる喜びには大きな違いはないのだもの。それどころか、もしかしたら、子どもを褒められてうれしいと、心が小躍りする気持ちの方が、高価なダイアモンドを貰うよりも、もっと喜びは大きいかもしれない。しかし、頭で考える価値観に支配されていると、本来なら毎日の日々は小さな喜びに溢れているにも関わらず、取るに足らないものに思えてしまう。
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