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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
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昨日は滝のあるお家のおばあちゃんのお葬式でした。急に心臓発作で亡くなったそう。まだ68歳。彼女のお葬式にはたくさんの人たちが来ていて、生前どのように生きてこられたか、物語っているようでした。つい一週間ほど前、スーパーで会った時に、ニコニコしながら、また遊びにいらっしゃいって言ってくれたのですが、それが最後になってしまいました。
彼女のお孫さんにプロの歌手がいて、その彼はむせび泣きながら、おばあちゃんへ送る歌を歌ってくれました。胸が熱くなり、残された人たちの彼女への想いで、涙が止まりませんでした。でも、悲しいっていうだけじゃない感動があった。悲しくても、それも愛。そのような感情がある人間って素晴らしいと、喜びに満ちた気持ちにさえなりました。
その後、写真とビデオが映像で大きくスクリーンに映し出され、それを見ると、素晴らしい人生を送らた方だったのだと、つくづく思わされました。彼女に学ばされたのは、人間の命の価値は、生きている間に一体どのくらい与えられたかということではないかと。与えるというのは、つまり愛すること・・・。なんて思いました。どれだけ愛することができたか。自分を愛し、家族を愛し、周りの人たちを愛し、人生を愛し、自然を愛し・・・ 豊かに生きるって、人から奪うことではなく、与えることなんだろうなあ。愛を与えることなんだな、きっと。お葬式でそんなことをつくづく思いました。
私も残りの人生、愛を与えられる人間になれるよう、毎日切磋琢磨しなきゃダメね。もうすぐ50歳になるし、おばさんになったらもう、人から与えてもらうことを期待してちゃいけないよね。こちらは与える側にならなきゃ。
下のビデオは今日のうちの馬たちです:
P.S.
先日、馬を調教する時、私は喋らないと言いました。が、普通に側にいる時、つい・・・特に・・・ルーミーちゃんに赤ちゃん言葉で話している自分がおります。乗っている時とか、明らかに調教の時は喋らないけど、馬たちが側にいる時には、喋っております。赤ちゃん言葉なんて、息子が赤ちゃんの時にも使わなかったのだけど、なぜかルーミーちゃんにだけは、赤ちゃん言葉になってしまいまちゅ。他の人に聞かれたら、ちょっと恥ずかしいかも。でもサニーさんには敬語だったり。(笑)「サニーさん、ちょっとすみません。そこどいてください」とか。「サニーさん、なにやってるんすか?怖いんすか?」って。なぜかルーミーちゃん以外の馬には、赤ちゃん言葉にはならないのだけど、ルーミーちゃんだけは・・・、もう、もう、かわいくて。実はちびちゃんと呼んでいるのでした。
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