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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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ミクシーの某コミュに”ウマの躾”というトピックがあって、それにちょっとコメントを書いてたら長くなってしまった・・・。ので、ここにもコピペします:
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「躾」と一言で言っても、躾と称して棒で殴る人もいれば(うちの馬も一回やられたことがあります)、おやつを与えて躾をしようとする人もいるし、様々ですよね。そして、それら様々な方法をやっている人たちは、私も含めて自分のやり方は正しいと思っているのですから、本当に何が正しいかなど、自分の目線という主観でしかなく、これが絶対に正しい、ということはないのでしょうね。
また馬の性格によって、状況によって、環境によって、そしてその時々のシチュエーションによって、同じことでも適切な方法にもなり、不適切にもなるのではないかと、日々感じております。
私自身は小さなことで忍耐を持って、馬がどうすれば学べるのか考えつつ、思いやりを持って躾をしておくことは、馬たちが他の人たちからも理解され、優しく扱ってもらえると思うので、彼らのためにも必要だと考えています。
例えば、削蹄師さんの言うことを聞かず、無理やり扱われる我が馬の姿は見たくないし、獣医さんに行った時に、アシスタントとか出てきて手荒に扱われるのを見たら辛いです。どこに出しても、「この子はよく躾されていていい子」といわれるようになれば、他の人たちにも大切にされると思っています。
自分の場合は、叱ることはほとんどないし、そういう状況にならないように、日々小さなことで躾するように努めています。(どうしたらこの子は学べるのか?)と、その子のその時の能力や状況に合わせて、最小限の負荷を模索したいです。ただ、もちろんリスペクトのない場合には、負荷を少しずつあげていきますし、咄嗟に何かあった場合は、その場でバシっとやることもあります。
例えば外乗している時に、自分の馬が他の馬を蹴るとか、馬屋の中で他の馬を噛もうとするとか・・・そういう時には、近くにいればその場で教えます。でもちょっと離れている場合は、小石を拾って馬のお尻に当たるように投げるとか・・と言っても、痛めつけようという気持ちではなく、今この場で教えておくチャンス!という感じで捉えて、肉体的に痛みを伴わせるというのではなく、ビックリさせる程度にやっています。
が、基本的に馬は叱ったり負荷を与えることで学ぶというよりも、リリースから学ぶのではないでしょうか。強い負荷でも学ぶとは思いますが、それは馬が自分で発見して学んでいるのではないので、何かあった時が怖いです。押さえつけて脅かして言うことを聞かせている馬は、扱う人がいつも強いボスでないと、豹変するケースってあると思うのです。
例えば力で押さえつけてトレーニングされてた子が、調教から戻ってきた時、最初は持ち主の言うことを聞いているのですが、持ち主がトレーナーのように厳しくないことを見抜いてくると、跳びはねたりするようになるケースはよくあるようです。
最後に、手荒に扱って虐待のような躾をしている人も多くいますね。そういう人の馬たちは、スピリットがなくなっていて、目に輝きがないです。好奇心もない。それよりも、諦めてとても静かになります。それを”大人しくて言うことを聞くいい馬”と思う人も多いかもしれませんが、馬の目を見ると(ただ、スピリットをとっちゃたんじゃない!)って思うことがあります。
馬たちが傍にいると、彼らは多くを語っているので、うるさくてしょうがないのですが、スピリットを取られてしまった馬たちは、人間に理解してもらうことを諦めているためか、彼らから話かけてくることはないし、とても静かに見えます。しかも、一度スピリットを抜かれたら、その後いくら優しく扱われる ようになっても、二度と戻らない、”あっちへ行っちゃった馬”になるって聞きます。
昨日もそういう馬に会いました。そこまでして、自分の道具として扱いやすい馬にしたいかね!?と、人間の傲慢さに憤慨しますが、他人は何もできないですね。そして、そのようなジレンマがあっても、自分にできることは小さなことです。まずは自分自身から。そして、私の場合、想いをアウトプットさせるためブログで書いたりしています。
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ただ今、掃除中。あさってから友人たちが来ます。実は私の誕生日なのでした。50歳になります。それが今年は夫は仕事でケンタッキーに、息子はどこにいるのだろう?今はスペインにいるかも。ということで、一人で50歳の誕生日になるのかなあって思っていたら、立て続けに友人たちが来ることに・・・。うれしいけど、私は一人でも十分幸せなんだけど。なんて小憎らしいババアにならずに、素直に人が来てくれることを喜べよ!っていう感じですが。
いや、ホント、うれしい。けど、掃除しなきゃならんぜよ。馬に乗る時間が削られるぜよ。そうだ、彼女たちも馬もみんな連れて、トレイルに行けばいいんだ。そーしよー、そーしよー。
ところで、友人の一人はこの日記に書いた生物化学の科学者です。彼女から去年の311後に聞いた話ですが、徐々に表面に出てきていることは、311直後に既に想像できていたことだったんですね。
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同感です
何事も力ではないと思っています
「知り合いの馬術部の馬たちは、魂が抜けていた」と見学に行った人に聞いたことがあります
まさしく!と思いました
いつも罵声と蹴りと鞭で扱われる彼らは、時として暴走します
もちろん、試合に勝つこともありません
そして悲しい目をしていると聞きました
もう彼らの魂は戻ってこないんですね
とても残念です
馬が馬として扱われる事は、大切な事だと痛感します
力を使わなくても扱える、そんな馬を作って、虐待が当たり前になっている
世界にアピールしていきたいと思っています
投稿情報: 木苺 | 2012/06/07 05:12
木苺さん
こんにちは。
>罵声と蹴りと鞭で扱われる彼ら
そんな風に馬を扱うアホが現実に存在するんですか?
なんてことを言ったら、敵が増えるだけですな。
でもって、馬のことでは敵を作ったら、その先にいる馬たちの
メリットにはなりませんな。なので、馬の環境を改善するには
虐待するアホとか言わずに、そういう人たちともうまく付き合えないと
いけないという、過酷な試練があるのですな・・・
そういう風に馬を扱う人たちは
馬に信頼されるパートナーとなった時に感じる
素晴らしい気持ちを味わったことがないから
そういう風に馬を扱えちゃうのかもしれませんね。
虐待ダメっていうアプローチではなくて、こうしたらもっとよくなるっていう
方向性を示すことができるようになったらいいですね。お互いに!
投稿情報: Yukiko Lunday | 2012/06/07 09:19