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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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(※下の方にポロクロスとカッティングのビデオがあります)
本日はルーミーのことではなくて、主にマハティのことですが・・・
まずは
FBで小さなお子さんをお持ちのお母さんに、こんな風にコメントバックしました:
”極端に子どもに負荷のかかることをしていない限り、つまり良識の範囲内であれば、親の動機(心)が自分のためではなく、心から子どものためを思ってしていることであれば、そんなに間違っているということはないんじゃないのかしら。どっちにしても完璧じゃないことの連続だもの。ただ、泣きながらさせることを、本人が自分からやりたいと思えるように、大人が工夫してあげたり、子どもの心理を考えてあげられる余地はあるかもね。それもまた、”そうせねばならぬ”ということではなくて、お母さん自身も、それを生み出したり考えたりすることが楽しめれば最高だね。馬をやっている時、私もそれで引っかかることがあります。やらせようじゃなくて、やりたいという意思をどう引き出すか。それには、私自身がやらせようという気持ちを消して、今この場での馬との関係を楽しんでいるか?って。”
その後、じゃあ今の自分はどうなんだ?って考えました。すると、どうも私は相手がどうかということばかり気になっていて、自分が楽しいかどうか考えてないということに気づきました。マハティのことで言えば、彼女が受け入れるものは何かなど、彼女、彼女、彼女に目が行っていて、自分は楽しんでいるか?と言えば、進もうと思っていた道に、実はさほど興味がなかったりしている。
マハティにはレイニングの練習を始めたのだけど、それは彼女には合っているかもしれないと思ったからで、よくよく考えたら、レイニングを自分でやりたいか?と言ったら、自分にはそれほど情熱を持てないような気がしています。スライディング・ストップしたりスピンしたりなど、そういった技術をストイックに極めていく競技よりも、本当のところやりたいと思っているのは、限界を設けていて、”私にはできない”と思っていたことかもしれなかった。
馬に乗って牛追っかけたり、チームの一人になってボール追っかけたりしたい。それはやってみたい。できないかもしれないけど、でも、そもそも馬始めたのだって、無理だろ?というところから、無理矢理やってきたので、やりたいと思ったらできる・・・かな。
ということで、自分が楽しめるものをやって、そしたら馬にもそれが伝えられるので、トレーニングが、"学ばなければいけないこと”という、強制的なものにならないかもしれません。楽しさを人や馬に伝えたいのであれば、まずは自分が楽しいと思ってできることが先なのかも。すごく簡単なことなのに、なぜかそこに気づけないでいました。
育成っていう、女性の本能で、相手を健康で幸せにしてあげたくて、スクスクのびのび育てることだけに目がいってたけど、家の馬たちは今、安心感を持ってのびのび生きている。それがクリアーになっているのなら、次は彼らの能力を伸ばすこと?男性の方が自然にそれはできるのかもしれないなあ。でもきっと女でも可能だよね。それには少し焦点を”私”に向けて、自分が楽しむっていうことをしていこう。
頭の整理をするために、書いています。
よし、これで道は開けた。
何をやるかはまた別として、少なくても気持ちだけは、スランプから脱出できる。
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