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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
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ルーミー Rumi The Horse #2
ルーミー Rumi The Horse #3
ルーミー Rumi The Horse #4
ルーミー Rumi The Horse #5
ルーミー Rumi The Horse #6
私は馬という動物と関わるようになって、人の内と外のギャップについて、敏感に感じるようになったように思う。内と外が一致しているように見える人には、大きなエネルギーを感じる。自分自身にカンファテブルで、そのままの自分を素直に表面に出せて、思考をストレートに伝えることができる人の存在感は大きい。反対に内面の自分に自信がなかったりして、それ故に外面では別な人格のお面をかぶっている人には、大きなエネルギーを感じない。彼らは自分自身でエネルギーを補給できないからか、人や物からエネルギーを補充しようとする人が多いように感じる。
しかし、違う自分を装い、人間を欺くことは簡単だけど、馬には真の姿を隠蔽し騙すことはできない。なぜなら彼らは、隠そうと思っても自然にだだ漏れしてしまう、私たちの思考から出るエネルギーを読みとっているからだと思う。それが、草食動物で他の動物の餌となる馬たちが、自らを守るために授かった、生きる能力なのではないだろうか。
ただ、内面と外面の違いに気づいているのならまだましで、(実のところ本心はなんなのだ?)という、自分の生の感情に気づくほど、内観ができないこともあると思う。怖いが故に馬に対して攻撃的になったり、もしくは、まだ起きてないことを想像し、過剰な想像から武装するかの如く、何も起こっていない前から、守りの姿勢になってしまうことがある。もし恐怖と不安があるのなら、それを正直に自覚し認めた上で、一歩一歩恐怖を克服するために進むこともできる。しかし、恐怖を認識できていなかったり、もしくは気づいていながら押し込めつつ馬に接したら、(この人、なんか怖い・・)と、彼らを緊張させてしまうと思う。
でも馬は全てお見通し。なので自分の内と外を一致させ、純粋にならないといけない。純粋とは、足のつま先から頭のてっぺんまで、体と心が透明な管となり、その中をエネルギーが自由に通過できる状態。その域に自ら調整して心の状態を持っていかれれば、馬との関係が上手くいくように思う。つまり精神修行と全く同じ道理で、7つのチャクラが開いた状態になるということ。究極、在るがままで至福に包まれている状態。
力で馬を支配するのではなく、信頼と愛で馬との関係を結べている人たちには、このような精神性に目覚めている人が多いように思う。そういう人たちは、テクニックを追及した結果、馬の達人になれたのではないだろう。彼らはきっと、馬たちに日々教えられる中、自分自身の心の在り方を、ストイックに修養していたに違いない。
しかし、多くの大人がそうであるように、在り方が純粋ではなく、その真逆の、不純な生き方をしている方が普通なのだと思う。不純は濁っている。濁っていたら、見えるものも見えなくなる。見えないから不幸も起こる。見えないから不安も起こる。見えないから争いも起こる。ただ、見えないから失敗があり、失敗があるから学びがあるのであって、もちろんそれはそれで人間を磨く修練に必要なプロセスではあるけど、曇りや濁りや汚れを透き通らせるには、シンプルにできることもある。それは、日ごろから自分自身の心に、ウソをつかないように生きる練習。しかし、人間社会では、正直に、まっすぐに、純粋に生きるのは難しい。
人間は馬と違って、言葉によって騙される。他人の言葉に騙されるだけでなく、心の動きを言語にしてしまうと、たとえそれを口に出さなくても、頭の中で考えている自分自身の言葉でも騙されてしまう。自分の言葉に騙されないようにするために、私の中で大事だと思っている2つの点がある。1つ目は、口から出す言葉は正直にまっすぐに思ったまま。2つ目は、内なる言葉で自分を騙していないか、常に内観する。私は昔、息子が小さかった時、子どもの純粋さを失わずに、知恵、叡智、知性を養っていって欲しいと考えていた。そして、息子にはよくこう言っていた。「思ってないことは言わないでいい。でも悪いことなら言わないでいい。人間は誰でも人にうそをつく。でも自分にうそをつくな」と。そう言って育てたら、息子は無口になってしまった。(笑)ただ、本気で思ったことを言う時には、彼の言葉には力があるように思う。
不純な大人になってしまってから純粋に戻るのは、頭の中で考えている色々な制約や、思い込みや、擦り込みがあるため、なかなか難しいかもしれない。そして、お世辞の一つでも言えないと、世間は渡り辛い。ただ言葉で騙すのは、人間社会では通用するかもしれないが、馬たちとのコミュニケーションの世界では、まやかしは通用しない。彼らが見ているのは、そのままの、生のままの、正直で本気で真実の、生きる者の純粋な姿だけ。私たちの体からでているエネルギーも含め、彼らは人間をつぶさに観察している。
例えば、近所付き合いしているお家の子どもを見て、かわいいと思っていなくても、口からは「かわいいわねえ」なんていうことをヘロっと言っていることもあると思う。でも、思ってないことを口にしたら、そこで汚れができる。その汚点が塵も積もれば山となり、挙句の果てには、一体何が本心なのか自分でも見えなくなる。そういう人間に馬たちが、(お前のことは信用できない!)と、強烈な形で教えてくれることがある。
続く・・
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