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馬と人間のコミュニケーションの世界をより良きものにするために
馬との関わり方など、テキサスから真摯に想いをシェアするべく書いて行きます。
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ルーミー Rumi The Horse #7
ちょっと、怒りをぶちまけさせてください。普段、イライラしたり怒ることはあまりないのですが、たまに怒ることがあると、人一倍すっごく怒ってしまいます。でも無用な怒りであれば、このブログは書いたら消えると思いますが、有用な怒りであれば、PCから消えてなくならないと思います。※無用なことを書くと、どこに書いても、それがワードであっても、FBでもミクシーでも、他のブログでも、これまでいつもフリーズしたり消えてしまうのです。
私は星一徹がちゃぶ台をひっくり返すかのように、怒りにまかせて、リビング・ルームにあった家具を外に放り投げてしまったことがあります。家に帰って来た夫は、カメハメハーとにらみ合っている息子と私、そして庭に散らばっている家具の数々を見て、仰天してしまった出来事だったのですが(その時の様子はコチラ)、最近、家具を投げるまではいきませんが、ヌオーっと思ったことがありました。っていうか、最近というよりは、私の怒りには常に同じパターンがあるようです。先日、こんなことをFBとミクシーに書きました:
すばらしいアイデアや、能力や、すごいことができるっていうことや
もしくは自分が知りえた知識というものは、天から与えてもらったもの。
だけど、自分一人で作ったり得たものだと思うと人は傲慢になる。
だから出し惜しみもするし、教えてやってると上から目線にもなる。
私はよくシャワーを浴びていると、色々な想念が外から来るのだけど
それって、自分の中の何かと、外にある膨大な叡智が結びついただけ。
決して、私が独自で開発したものでも、発見したものでもない。
だから、知識にしても、能力にしても、知恵にしても、情報にしても
個人が所有するものではなくて、人類が共有しているものなんだ。
それを分からないやつが傲慢になる。全部、自分でやったと思っているから。
自分というのは、人類の歯車の一部でしかないんだぞ。バカ者。
このように、自分の能力や知り得たことを、まるで自分一人のものであるように考え、それを人に伝えられず、もったいないことをしている人を見ると、どうにもこうにも私は怒ってしまいます。しかも、怒っても構わない、怒るべきと思いつつ怒ってしまうのでした。
能力や情報や知識や知恵や才能は、なんのために与えられているのか?自分が賞賛されるために与えられたと思っているのか?と、与えられたものを活かさずにいる人を見ると、心底腹が立ちます。それが自分には直接関係ないことであっても、与えられたことを活かしていない傲慢さを見ると、なぜだか本当にむかつきます。こうなると腹を立てるのが正しいかどうかなんて、どうでもいいわいと思って、思いっきり腹立てています。
馬の調教師で、これまで1000頭以上もの馬たちを馴致してきた人がいます。彼はエネルギーの使い方を体得していて、馬を数日の間に次々と馴致できる人。ところがナルシストなんです。自己愛性人格障害(ナルシスト)の診断基準で、(5つ以上ぜったいに当てはまるわ、この人)と思える人で、彼は世間から自分を隔離して、馬たちとだけコミュニケーションしています。人間とのコミュニケーションをするのはもっぱら奥さんの役目。自分では人と円滑なコミュニケーションが取れないからです。
ちなみに、ナルシズムは誰しもにあると思いますし、何かを成し得る時には、ある程度のナルシズムは必要かもしれないとも思います。が、それが適度なものではなく、病的ナルシストとなるとまた話は別。
この調教師の彼は、人と交わって話しをしても、話題が彼のこと、特に彼の自慢話でなければ、他の人たちが、どんなに興味ある話題について話をしても、一向に興味を示そうとしません。なので一見、無口でおとなしい人に見えます。でも、そうじゃない。自分の話になったら延々と続けられるのだから。
奥さんは、これまた共依存タイプの方なので、彼を引き立たせてあげるのが彼女の喜び。実は彼女の方が、馬に乗るのだって上手なのだけど、主役をいつも彼にしてあげて、彼女はまるで、彼のことを一人息子を育てるかの如く、精神的に甘やかしているように見えます。
少し前にパーティーで一緒の時、奥さんは一生懸命、テーブルについた人たちの話題が、彼の話題になるよう、何気に自然に振舞っているように見せながら、会話がそちらに流れていくようにしていました。私はそれに気づいていましたが、そちらの方向に会話が流れるお手伝いはしませんでした。そんな奴、甘やかす必要ないって思っていましたから。周りの人たちは彼を気持ちよくさせるために存在しているわけじゃないんです。
そんな彼は素晴らしい能力がありながら、「人には理解できない」、「自分が知っている重要なことは誰にも理解できない」と、あたかも自分だけが最高の位置にいるような自画自賛をしつつ、周りの人の無力さをこき下ろします。
障碍を教える馬のトレーナーに全く同じタイプの人がいて、面白いことに彼らは最初から犬猿する仲だったようです。そしてナルシストたちに見られる傾向として、同じナルシストに出会うと、相手のことは無視をするというように、彼らはカウンセリングのテキストに出てくる通りに、お互いが存在してないかのような態度でした。私は一緒の場所にいたことがあり、それを遠巻きに観察させてもらっていました。
障碍のトレーナーも自画自賛。(そんなに自画自賛するほどすごいことを知ってるなら、人に伝えろよ)と思うのですが、彼らは人間と上手く関わることができないので、それができないでいます。その傾向もまたこの二人に共通する点です。
もしかしたら、彼らの今生は“自分が何かを極める”だけでお終いなのかもしれません。が、中にはそれ以上できるのではないかと思う人もいます。ただ、問題はそういう人たちの強い我です。それがある限り、自分が知り得たことを世に出してシェアすることなどできないのです。
この社会には素晴らしい人たちがたくさんいます。何かを極めて、その体験、経験、体感、知識などなどを、多くの人に分かち合うことができる人もたくさんいます。そこの域に行けるのは、精神修行の階段を登るのと同じで、十牛図でいえば10番目の絵に当たると思います。それができる人が世に増えればいいのですが、おしいところでつまずいている人を見ると、私も人間なのでイライラします。そうやってつまずいている人たちが、どんだけのギフトを台無しにしているか、それによって助かる馬たちも人間たちも多く存在することを考えると、更に怒りが増すのでありました。
そういう人にメッセージ:
キミの川の水が流れないのは、川の中に我という大きな石があるから。それを取り除くには、その場その場の感性だけでなく、勇気と知性を持って沈思黙考し、自分自身の奥を見つめる作業も必要。
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